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[オピニオン]高麗文化の再発見

Posted August. 23, 2014 03:35,   

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「高麗の風俗を見ると、息子を別に住まわせても娘は出さないため、昔の秦の婿養子と似ています。娘が親を扶養するため、娘には愛情を注ぎ、十分に世話をし、成長して自分たちを扶養してくれることを昼夜望みます」。高麗末の学者、李穀(イ・ゴク)が元に工女制の廃止を要請して書いた文だ。儒教を統治理念とした朝鮮時代とは異なる女性の地位をうかがえる。高麗の女性は、夫と死別すればいつでも再婚が可能だった。相続する時は息子と娘の区別がなく、親の葬儀費用も共同で負担した。

◆太祖王建は、後三国の混乱を収拾し、自主統一の大業を成し遂げた。王建が建国した高麗は、対外交流にも積極的だった。中国と日本だけでなく、アラビア商人とも貿易し、「コリア」という名を世界に知らしめた。女真、モンゴルなど多くの外勢の侵略も克服し、500年間の王朝で華やかな文化の花を咲かせた。仏教を国教とし、多様な仏教関連の文化財が活発に作られた。

◆21日、文化財庁がソウルの道峯(ドボン)書院から出土した77点の仏教用具を公開した。このうち12世紀以前に製作されたと見られる金銅製の金剛鈴(仏教儀式に使う鈴)は、最高の傑作とされる。四天王像と五大明王像がまるで生きているかのように彫られ、高麗の金属文化の精髄を見ることができる。今年7月に国立中央博物館が公開した高麗螺鈿經函は、繊細で華やかな工芸美の極致だ。螺鈿經函は仏教の経典を入れる箱。世界で9点しかない遺物の一つを博物館の後援会が日本で購入して寄贈した。

◆開放的で躍動的な時代、高麗に対する研究は朝鮮に比べて相対的に少ない。1次史料が不足し、遺跡と遺物が高麗の都だった開城(ケソン)に集中したためだ。しかし、徐々に高麗の再発見に関心が集まっている。最近、訪韓した米ハワイ大学のエドワード・シュルツ名誉教授は、「高麗は外国の文化を開放的に受け入れ、土着の要素とよく組み合わせて一段階グレードアップさせる能力が優れていた」と評価した。

高美錫(コ・ミソク)論説委員mskoh119@donga.com