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[オピニオン]ビン・ラディン射殺から1年

[オピニオン]ビン・ラディン射殺から1年

Posted May. 03, 2012 08:32,   

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「最終的解決」は、第2次世界大戦当時、600万のユダヤ人虐殺の作戦名だ。ナチス・ドイツの親衛隊将校のアドルフ・アイヒマンが計画し、指揮した。イスラエル情報機関モサドは、アイヒマンを捕らえてイスラエルの法廷に立たせるために、世界中を探した。60年、アルゼンチンに隠れていたアイヒマンを逮捕したモサドは、2年後、人道に対する罪で彼を死刑にし、遺体を焼却して海に撒いた。イスラエルのベングリオン首相(当時)は、「ナチス支持者がアイヒマンを崇拝の対象にしないよう彼の痕跡を地球上から完全に消滅させた」と述べた。

◆01年の9・11テロの首謀者とされた公敵1号のオサマ・ビンラディン容疑者は、昨年5月2日、10年間の逃避の末、パキスタンで米軍の特殊部隊の銃撃を受けて死亡した。米国は、死亡後24時間内に埋葬するイスラムの慣例を尊重し、遺体をアフガニスタンに移し、水葬にしたと明らかにした。ビンラディンの遺体を受け入れる国もなく、埋葬した地域が「革命の聖地」になることを避けるためだった。一部では、DNA分析のために米国に送り、某所に保管されているという主張もある。

◆米国のオバマ大統領は1日、ビンラディン容疑者が率いたアルカイダの本拠地であるアフガニスタンのカブールとバグラム空軍基地を訪れた。射殺から1年の節目に合わせた訪問だった。今年の大統領選で再任を狙うオバマ大統領としては、地球の反対で繰り広げられた安保の現場を訪れ、米国国民のビンラディン容疑者の記憶を呼び起こし、選挙の材料にしようとしたのかも知れない。

◆バグラムは紀元前4世紀、マケドニアのアレクサンダー大王の時代から続いてきたアフガン侵攻の歴史を残している。1979年のアフガン侵攻のソ連軍の軍事基地であり、ソ連軍の撤退後、タリバンと北部同盟の内戦の主舞台ともなった。今後も戦争の砲煙は簡単には消えそうにない。バグラム基地の米軍の前に立ったオバマ大統領は、2014年に米軍が撤収することを公言し、「ここアフガニスタンは夜明け前だが、新たな1日の光が地平線に見える」と演説した。しかし、この地域の安定はもとより米国が進めている「テロとの戦い」がいつ終着点に着くのか、誰も知りえない。

ハ・テウォン論説委員 triplets@donga.com