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菅直人前首相「原発事故の時、東京壊滅の危機感を感じた」

菅直人前首相「原発事故の時、東京壊滅の危機感を感じた」

Posted September. 07, 2011 07:45,   

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日本の菅直人(写真)前首相が、3月の福島原発事故当時、東京を含め首都圏が壊滅するかも知れないという危機感を感じたと、回顧した。2日退任した菅前首相は、6日付けの東京新聞とのインタビューで、「最も危機感を感じた時期は事故発生後1週間の間だった」とし、「東京に人っ子一人いない情景が思い浮かんで、背筋がぞっとした」と話した。

また、「事故4日後の3月15日、午前3時頃、海江田万里経済産業相(当時)から『東電が第一原発から撤退の意向を示している』と言われた。直ちに清水正孝社長を呼んで、東京電力の本店に政府と東京電力の統合対策本部を設置するようにした」とし、「東京電力が撤退したら今頃、東京に人っ子一人いなくなっていたかもしれない」と話した。

菅前首相は、「当時東京電力が撤退し、原発と核燃料を放置したら、何時間か何十時間の間に原子炉とプールの水は空になり、どんどんメルトダウン(炉心溶融)が進んだはず」とし、「(もしそうだったら)チェルノブイリ事故の数倍、数十倍の放射性物質が出ていたかも知れない。日本が国家として成り立つかどうかという瀬戸際だった」と強調した。

菅前首相は、「原発事故前は原発を活用すべきという考えで、私自らも『日本の技術なら大丈夫』と思っていたが、事故を経験した後、考えを改めた」と述べ、脱原発政策へ旋回した背景を説明した。さらに、「半径100キロ、200キロ内に人が住めなくなったら、日本は存立できない。10万人、20万人が非難するのも大変なのに、首都圏の3000万人が避難しようとしたら、避難するところがない。このような危険から逃れるためには、原発に依存しない方法しかなかった」と強調した。

菅前首相は原発事故当時、情報疎通と関連し、「首相室でもきちんと報告が行われなかった。水素爆発の場合、原子力安全委員会が『格納容器は窒素で満たされているため、水素爆発はあり得ない』と述べたが、実際は原子炉の建物内で爆発が起こった」とし、専門家の報告内容を批判した。



jkmas@donga.com