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孫基禎さんのIOC表記、今も「ギテイ・ソン」

孫基禎さんのIOC表記、今も「ギテイ・ソン」

Posted March. 03, 2011 04:19,   

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1970年の光復節の8月15日、ドイツ・ベルリン五輪のスタジアム。韓国のある国会議員が、漆黒のような闇の中で梯子に上った。彼のそばには妻がいた。彼は、国内から持ってきた装備を取り出し、1936年のベルリン五輪優勝者記念塔の石壁に彫られたマラソンの金メダリスト、孫基禎(ソン・ギジョン)の国籍を日本から韓国に変えた。「ジャパン」を取り、「コリア」と彫るのに5時間かかった。スタジアム職員も気づかなかったが、後になって警察に通報し、不法侵入および公共財産破壊の容疑で逮捕状が出たものの、彼はすでに去った後だった。ドイツ当局は、再び孫基禎の国籍を日本に戻した。

「のみや金槌を持って行きました。行ってみると思ったより高く、梯子だけ新しく購入しました。夜0時頃に始めましたが、いつの間にか夜が明けていました」。緊迫した状況を思い出した彼の額には、いつの間にか汗がにじんでいた。90歳目前だが、あの日の記憶だけは鮮明だった。

しかし、彼の執念は現実には未完成だ。41年の歳月が流れても変わっていない。当選4回の元国会議員、朴永禄(パク・ヨンロク)氏(89)が、02年に亡くなった孫基禎の国籍回復に執着する理由だ。

江原道高城(カンウォンド・コソン)で生まれた朴氏は、「日本の学校に入らなければ、地方書記にもなれない状況でしたが、魂を奪われると思って書堂に通いました。マラソンをし、東亜(トンア)日報の日章旗抹消事件などを通して、幼い頃から関心がありました」と、孫基禎との縁について語った。

政治界入りした後、60年代に米国務省の招待で3ヵ月間海外研修に行った時、ベルリンの記念塔に孫基禎の国籍が日本になっているという事実を知り、改める決心をした。

「ベルリンで国籍を直し、帰国した時、金浦(キンポ)空港に孫基禎が来ていました。孫基禎がこう言いました。私の両親は私を産んでくれ、朴議員夫妻は、韓国人孫基禎に生まれ変わらせてくれました」

しかし、野党議員だった彼のこのような活動を快く思わなかった与党や、政府の非協力と国際社会の理解不足で、孫基禎の国籍はまた日本に戻された。「当時、犯罪者扱いまでされました。日本も、韓国が積極的に動けば、助ける立場だったんです」

08年の北京五輪のホームページに、孫基禎の国籍が日本になっており、論議を呼んだ。現在、国際オリンピック委員会(IOC)のホームページにも、ベルリン五輪のマラソン金メダリストは日本国籍の「ギテイ・ソン」となっている。

朴氏は、「国籍回復を願う国民大会を開催し、使節団を構成し、スイスのローザンヌにあるIOC本部に派遣します。国内の体育界の人々も、積極的にこの問題に関心を持たなければならない」と主張した。また、「江原道平昌が2018年の冬季五輪誘致のため、IOCとも頻繁に接触しているので、具体的な案を模索します」と付け加えた。

政界引退後、04年から約4.96平方メートル(1.5坪)のコンテナに住み、クリーンな政治家で知られている朴氏は、「孫基禎を堂々と韓国人にしてこそ、思いを遂げることができます。余生の唯一の目標です。そうしてこそ、孫基禎も安らかに眠れるでしょう」と強調した。

朴氏のこのような動きに対し、大韓体育会のある関係者は、「別の植民地国家との公平性などから見て、容易ではない。今後、孫基禎の国籍が日本と出ないようにすることに努める立場だ」と明らかにした。元文化観光部次官の鞖鍾信(ペ・ジョンシン)2014年仁川(インチョン)アジア競技組織委員会事務総長は、「しなければならないことだが、難題が多い。歴史解決という意味で、韓日間の合意を経て、IOCに訂正を要求しなければならない」と述べた。



kjs0123@donga.com