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亡命工作責任者の元安企部長、故黄氏を弔問、亡命同行の金徳弘氏は弔問せず

亡命工作責任者の元安企部長、故黄氏を弔問、亡命同行の金徳弘氏は弔問せず

Posted October. 14, 2010 08:12,   

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1997年、当時の国家安全企画部(安企部)部長として、黄長鎏(ファン・ジャンヨプ)元北朝鮮労働党書記の脱北工作を陣頭指揮した権寧海(クォン・ヨンヘ)氏らが12日、金泳三(キム・ヨンサム)元大統領の弔問に合わせ、ソウル市松坡区風納洞(ソンパグ・プンナプドン)にあるソウル峨山(アサン)病院に設けられた焼香所を訪問したことが、13日までに明らかになった。

故黄元書記の側近らによると、権元部長は12日の午前、金元大統領と同じ時間に焼香所へ弔問し、金元大統領としばらく懇談したという。権氏は1994〜1998年、安企部長として各種の対北朝鮮工作を総括した。黄氏の脱北は、金元大統領の任期の最後に実現した快挙だったが、同年実施された大統領選挙を控え、北朝鮮問題を利用した選挙工作ではないかという批判の声が高まった。

権氏の指揮を受け、当時安企部第2次長として、実務を担当した李丙鏻(イ・ビョンギ)氏と、李氏が仕切っていた工作チームも同日午後、焼香所に弔問した後、夕食を共にして別れた。権氏も、この席に合流する予定だったが、個人的な用事ができたため、安企部工作チーム全員との再会は、実現しなかった。

当時、黄氏に同行し、脱北した金徳弘(キム・ドクホン)元脱北者同志会長は、13日午後までに姿を現さなかった。金氏は当初12日午後、もしくは13日午前には弔問する予定だった。金氏は、2002年に訪米問題を巡り、黄氏と意見対立しており、その後、二人の関係は疎遠になった。金氏は2009年5月のあるセミナーで、「黄元書記は、未だに主体(チュチェ)思想に未練を持っているようだ」と非難したこともある。

一方、黄氏の身辺を影で警護していた警察の警護要員らは10日、黄氏の突然の死にショックから立ち直れない状態だったが、故人の最後を見届ける気持ちで周辺警備に当たっていた。北朝鮮による暗殺工作を阻止するため、特攻武術の有段者で厳選した要員らは、沈痛な表情を隠せない様子だった。

焼香所を守っていたある脱北者は、「警護チームが(死去した)最初の日は、事態の収束に忙殺していたが、二日目の11日からは、黄元書記の死に対し、申し訳ないという気持ちが顔に出ていた」と話した。

北朝鮮軍人出身の脱北者で作られた北韓人民解放戦線(北民戦)も、10日夜から10人ずつのグループで弔問し、不測の事態に備え、焼香所を守っている。北朝鮮政権樹立記念日である先月9日に発足した同団体は、北朝鮮人民軍大尉出身の金聖玟(キム・ソンミン)自由北韓放送代表が、団体代表を務め、軍人出身の脱北者200人あまりが会員になっている。金台表は、「出棺式と埋葬式に、会員のほとんどが参加し、棺を警備する予定だ」と話した。



kyle@donga.com takeoff@donga.com