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「対話→挑発→交渉での圧力カード」 北朝鮮の行動パターン、今回も

「対話→挑発→交渉での圧力カード」 北朝鮮の行動パターン、今回も

Posted November. 12, 2009 09:14,   

Updated January. 01, 1970 09:00

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●対話局面後は挑発

99年「第1次延坪(ヨンピョン)海戦」が起こる直前、北朝鮮と米国は、金倉里(クムチャンリ)地下核施設疑惑をめぐり、活発な接触を行っていた。同年5月18日から24日まで、米代表団が初めて金倉里地下施設を訪れ、25日から28日には、ウィリアム・ペリー対北朝鮮政策調整官が訪朝した。韓国と北朝鮮当局も、同年5月12日から6月3日まで、北京で極秘に接触し、高官級会談開催の問題について話し合った。その結果、南北次官級会談が6月22日に実現した。

「第2次延坪海戦」が起きる前の02年4月30日にも、米朝は2国間対話を開催することで合意した。これに伴い、ジェームズ・ケリー国務次官補(東アジア・太平洋担当)が、7月10日に訪朝することが予定された。林東源(イム・ドンウォン)大統領外交安保統一特別補佐官は、同年4月初めに訪朝し、金正日(キム・ジョンイル)総書記と会い、01年以降、小康状態にあった南北関係を修復することで合意した。それにより、4月28日から5月3日まで第4回離散家族再会が行われ、北朝鮮へ肥料20万トンが支援した。

●挑発後、対外交渉戦術に活用

北朝鮮は、武力挑発による緊張ムードを対米、対南交渉に活用した。韓半島は戦争が終わっていない停戦状態であり、西海(ソヘ、黄海)が軍事的紛争地域だという点を想起させ、交渉のテーマにすることを迫る戦術だった。

北朝鮮は、第1次延坪海戦直後の99年6月26日、祖国平和統一委員会書記局の報道で、「米国と韓国側が停戦協定の履行を放棄した。米朝間の『平和保障体系』の樹立が必要だ」と主張した。その結果、翌年の00年10月、米朝は「韓半島の緊張状態を緩和させ、1953年の停戦協定を強固な平和保障体系を替え…」という内容の共同コミュニケに合意した。

第2次延坪海戦の後も、北朝鮮はより一層強い対米圧力に出た。しかし、結果は思わしくなかった。北朝鮮は、延坪の銃撃戦で、訪朝を延期し、10月3日に訪朝したケリー次官補に、高濃縮ウラニウム計画の存在を認め、米国に圧力をかけようとし、その結果、核危機を招いた。ただ、北朝鮮は、任期末の金大中(キム・デジュン)政権とは友好な関係を維持し、南北間の交流協力を拡大した。

白承周(ペク・スンジュ)国防研究院安保戦略研究センター長は、「北朝鮮は今回も、米国、韓国との対話で交渉力を得ようとし、『対話局面』に対する内部の理解と団結を求めるだろう」と分析した。



kyle@donga.com