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一人の科学者の死に13億の中国人が泣いた

一人の科学者の死に13億の中国人が泣いた

Posted November. 02, 2009 08:45,   

Updated November. 30, -0001 00:00

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「両弾一星(原子爆弾と水素爆弾、そして人工衛星)に大きな貢献を果たした中国宇宙空港の父、死去する」

中国官営の新華社通信は先月31日、享年98歳で北京の自宅で死亡した科学者の銭学森を追慕する特集記事をこのように書いた。

浙江省抗州市で1911年12月に生まれた銭博士は、上海・交通大学を卒業した後、清華大学の留学生に選ばれ、革命と抗日戦争で沸き立っていた当時、米国へ渡った。1939年、カリフォルニア工科大学で航空宇宙と数学分野で博士号を取得し、第2次世界大戦の時は、米国防科学委員会でミサイル開発に取り組んだ。同氏は優秀な頭脳の流出を止めようとした米当局が帰国を認めなかったため、韓国戦争で中国に捕まった米軍操縦士と1955年交換される形で祖国に帰ることができた。帰国後、中国国防部の戦略ミサイル開発プログラムに取り組み、核兵器や宇宙開発で主導的な役割を果たした。

中国内の初原子爆弾(1964年10月)と水素爆弾(1967年6月)実験、そして初の人工衛星(1970年4月)の打ち上げの成功の背後には彼の存在が居た。また、03年10月、初の有人宇宙船・神舟5号の打ち上げにも貢献した。今年1月、胡錦涛国家主席は彼のお見舞いに訪問し、温家宝首相は8月6日を含め、首相在職の時、4回も銭博士の自宅を訪れ、尊敬と感謝を意を示した。

銭博士が中国人に尊敬される理由は、宇宙科学への貢献に勝るとも劣らず、中国人に愛国心や自負心を与えてくれたため。「私が米国で学んで仕事をした期間は、全部祖国に帰って人民のために働くための準備期間だった。なぜならば、私は中国人であるから」「外国人にできることは中国人にもできる」といった言葉は中国人の心を動かした。

自分に対する賞賛が絶えなかった時は、「私は滄海一粟に過ぎない」「現時爆弾や人工衛星は数千人にのぼる科学者の共同作業の結果であり、誰か独りにできることではない」と自分を低めた。昨年、官営の中国中央(CC)TVが自分を「中国を感動させた10大人物」に選ぶと、「偉大なのは私ではなく、中国と中国人民だ」と話したりもした。「私の苗字は銭だが、お金があまり好きじゃない」という言葉も広く知られている。昨年、ノーブル化学賞を受賞した中国系米国人の銭永健(米国名=ロジャー・チエン)氏は、銭博士の甥。彼の家は科学者の家門としても有名だ。銭博士は1991年10月、科学者に贈られる最高の栄誉である「国家傑出貢献科学者」賞を国務院と中央軍事委員会からもらった。告別式は党中央委員会の主管で7日行われる。





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