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ああ、高句麗

Posted August. 18, 2007 03:03,   

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高句麗(コグリョ)研究会の徐吉洙(ソ・ギルス、西京大学教授)理事長の底力を見せる2冊の本が同時に出版された。1冊は欧州に高句麗を紹介したフランスおよびロシア学者らの研究結果を紹介した本で、もう1冊は2002年に始まった中国東北工程の羅針盤役を果たした『古代中国高句麗歴史総論』(2001年)を最初に翻訳した本だ。

この2冊を発行するためには、フランス語、ロシア語、中国語がすべてできなければならなかった。独学で勉強したエスペラント語で世界エスペラント語協会の理事に選ばれるほど上手な徐教授の語学力があって実現可能な事だった。一人の学者が書き、訳したが、高句麗についての2冊の本の認識は大きく異なる。

まず、『韓末欧州学者の高句麗研究』から見てみよう。この本の主人公は、1865年生まれで同時に大学に進学し、東洋語学校で勉強したモリス・クラントとエドゥアル・シャバン。

クランは韓国では世界初の金属活字の印刷本である『直指心経』を欧州に紹介した学者として有名だが、1898年に欧州に初めて高句麗の広開土(クァンゲト)太王碑文を紹介した学者でもあった。「高句麗王国の漢文碑石」という彼の論文は1884年に太王碑を見つけた日本を除いては最初の研究だった。

クランより早く学界に入ったシャバンはクランのこの論文に刺激され、欧州の学者では初めて広開土大王碑など高句麗遺跡を直接踏査し調査した。彼は1907年に高句麗の国内城を五日間現地踏査する過程で高句麗の壁画を初めて見つけた。彼はこれを整理し、「韓国の古代王国高句麗遺跡に関する報告書」を発表した。

彼らの研究にはいくつかの間違いはあったが、後日にも感嘆するほど事実関係に充実だった。クランは広開土太王碑文をフランス語に訳し「韓国の地名と人物に関するものなので、すべて韓国の発音を使った」と明らかにした。また、彼が描いた古代の歴史地図では、現在の中国・吉林省一帯の夫餘(プヨ)領土とロシア・沿海州一帯の挹婁(ウムヌ)を、中国語の漢字音でなく韓国語の漢字音で訳した。

シャバンも高句麗史を韓国史と認識し、当時、中国人たちの無関心の中で高句麗の遺跡が毀損されることを残念に思った。彼は長寿(チャンス)王陵の上に別途の建築物があったと報告しており、太王陵を初めから広開土太王陵と推定した。

一方『古代中国高句麗歴史総論』を翻訳した『中国が書いた高句麗の歴史』では、当代の政治的目的のために既存の研究を手の平を返すように覆す中国の学者たちに会える。

東北工程の野戦指揮官である馬大正は序言で「高句麗は中国東北歴史の少数民族政権」とし「高句麗・高麗(コリョ)と朝鮮(ソチョン)を区別せよ」と最初から研究方向に釘を打った。そして本の末尾には「以前の一部の大家、権威ある見解についても思い切って違う見解を出し論争を繰り広げてこそ、認識の飛躍と研究結果に突破口を用意することができる」と明らかにし、このような方向に逆行する既成研究を敢然と無視することを指示している。

民族編を引き受けた楊保隆は「高麗を建国した王建(ワンゴン)は中国の名字」という詭弁を並べながら、東北工程の初期からすでに高麗史侵奪の意思を明確にしており、李大龍は古朝鮮、夫餘、高句麗だけでなく、新羅(シルラ)と百済(ペクチェ)も中国民族が建てた国だと主張した。百済が夫餘と高句麗を建てた夫餘系が建てた国であり、新羅の前身である辰韓が秦韓とも呼ばれたのは中国の秦の人が建てた国だからという荒唐な主張とともに…。

同じ筆者らが2003年に発表した『古代中国高句麗歴史総論』を昨年『東北工程高句麗史』(サゲジョル)という題名で発行した徐教授は、「東北工程が高句麗を口実に最初から三国史はもちろん渤海(パルヘ)と高麗まで歴史侵奪を計画したことが分かる」と話した。



confetti@donga.com