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朝鮮軍司令官の日記発見、3・1独立運動鎮圧の詳細が明らかに

朝鮮軍司令官の日記発見、3・1独立運動鎮圧の詳細が明らかに

Posted March. 01, 2007 08:00,   

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1919年の3・1独立運動当時、日本軍が犯した堤岩里(チェアムリ)集団虐殺事件を朝鮮軍司令部(当時韓半島に駐留した日本軍司令部を指す)が徹底的に隠蔽したことを示す司令官の日記が見つかった。

朝日新聞は28日付で、3・1独立運動当時、朝鮮軍司令官だった宇都宮太郎(1861〜1922)大将が残した15年分の日記が見つかったと報じた。

作成者の死後約80年ぶりに封印が解かれた日記には、堤岩里事件の隠蔽の詳細や独立運動鎮圧の実態、民族運動家らに対する懐柔などが詳細に記録され、注目される。

1919年4月15日に起こった「堤岩里事件」について、宇都宮大将は、「ソウル南方で日本兵が約30人を教会に閉じこめ虐殺、放火」したと書いた。しかし朝鮮軍は事件の発表で、虐殺や放火を否認した。

その理由は、4月18日付の日記に、「(事実を事実として処分すれば簡単なれども)帝国の立場は甚だしく不利益」となるため、幹部との協議で、「抵抗したるを以って殺戮したるものとして虐殺放火等を認めざることに決し、夜十二時散会す」と詳しく書かれてある。

翌日の日記には、「関与した中尉を鎮圧の方法手段が適当ならざる所ありとして三十日間の重謹慎を命ずることに決心」と書かれてあった。同紙は、実際にこの中尉に30日間の重謹慎処分が下された事実を確認した。

日記によると、宇都宮大将は当初、朝鮮民衆の抵抗にそれなりに理解を示していたようだ。3・1独立運動が始まると、宇都宮大将は日本の「武断統治」方式を批判し、「朝鮮人の怨嗟(えんさ)動揺は自然」と日記に記した。彼は、独立運動はキリスト教徒や天道教、学生などが主導し、外国人宣教師の支援を受けて蜂起したもので、根が深いと分析し、「武断統治」は、「嫌がる娘を無理やり結婚させることと同じことだ」と批判した。

しかし騒動が拡散すると、「これまでの鎮圧手段では到底対処できない」と判断し、3月11日、朝鮮総督から軍動員の許可を受け、鎮圧を開始した。

いっぽう日記には、宇都宮大将が後日、朝鮮総督の斎藤実時代に実施された「文化政治」の施策を先取りした事実も明るみになった。

宇都宮大将は、3・1独立運動の最中、天道教への懐柔を提案し(1919年3月20日)、将来、朝鮮に「自治」を許可して「自治植民地」にするべきだと本国に進言したりした(5月1日、陸軍大臣田中義一に送った書簡)。「排日派」で知られた朝鮮人との接触にも積極的に乗り出した(1920年2月20日、4月9日)。

日記には、3・1独立宣言に署名したある宗教指導者が2月27日、彼を訪ね、「今回の高宗(コジョン)の国葬の時、何か起きるかもしれないから気をつけろ」と忠告したという内容もあった。

宇都宮大将が残した史料は、日記15冊以外にも、書簡約5000通、書類2000点、写真200点など、約7200点にのぼる。



sya@donga.com