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「日本の圧力で乙巳条約を締結」「源泉無効」国際論争に再点火

「日本の圧力で乙巳条約を締結」「源泉無効」国際論争に再点火

Posted November. 17, 2005 07:58,   

Updated January. 01, 1970 09:00

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「今になって、死者に何を聞くというのですか。まだ話しはできても『未冷屍(冷たくない死体)』です。冷たくならない死体と何の違いがありますか。乙巳(ウルサ)の年以来、話もせず聞くことも避けていたら、いつの間にか耳も遠くなり目も見えなくなりました。話すことはできますが、もう本当の死体になろうとしているようです」

韓圭卨(ハン・ギュソル)は、伊藤博文が訪韓した9〜18日の切迫した状況を詳細に述べ、当時すべての大臣が条約締結に反対するという決意を固くしたものの、軍隊まで動員した日本の強圧によって条約が締結されたことを証言した。

「17日に日本公使館に呼ばれ、宮廷に戻って御前会議を開いたが、調印はできないと陛下に申し上げた。外部大臣の朴斉純(パク・ジェスン)は、命にかえても調印を阻止する決心をしたと言った。この間に、日本の外交官と無数の軍人が内殿近くに入って、形勢は非常に切迫した。学部大臣の李完用(イ・ワンヨン)、農商工部大臣の権重顕(クォン・ジュンヒョン)と内部大臣の李址鎔(イ・ジヨン)が拒絶ばかりが能ではないと言い、条文の修正を要求しようともっともらしい意見を出したことで、会議は混乱に陥り、陛下は内殿に戻られた。

伊藤が再び現れ、条約締結を強要したが、私は万民公論に付すという理由で期日を延期するのがいいと考え、陛下に会いに会議場を出たが、日本の通訳官によって再び伊藤のところに連れて行かれた。伊藤の要求を再び拒否すると、日本の士官たちは門をふさぎ、私を翌日の午前1時半まで、漱玉軒(スオクホン)に閉じこめた。その間に、外部大臣が調印したという話を聞き、私は泣いた。私は、外部大臣が同意しても、総理大臣の同意を得て連署で上奏し、裁可を仰がなければ無効であることを承知していたので、法部大臣と度支部大臣を除き、すべて免官する手続きをとった。しかし、その翌日からは、すでにまったく別の世の中になった。御前での行為が道理に反するという罪名をつけられ、私が免官となり、3年間の島流しという勅命が下された」

「韓末の政客の回顧談」というタイトルで、3回にわたって連載された韓圭卨の証言は、その後、乙巳条約が強圧によって成立したため、国際法上無効だという主張の主要な根拠になった。日本植民地時代に韓国関連の消息を日本に伝えた「朝鮮通信」は、韓圭卨の証言を報じた本紙記事をそのまま翻訳して、1930年1月14〜17日の期間に報道した。しかし最近、国内のある新聞が、本紙の報道事実を知らず、朝鮮通信を引用して「乙巳条約が日帝の強制によって遂行されたことを重ねて立証する資料が、100年ぶりに発見された」と1面トップで報じた。

光復(独立)後、乙巳条約の不当性についての最初の問題提起は、兪鎮午(ユ・ジンオ)元高麗(コリョ)大学総長が1951年7月25日〜8月1日に本紙に連載した「対日江華条約案の再検討」という記事だった。その後、乙巳条約に関する研究は、1992年5月、ソウル大学の李泰鎮(イ・テジン)教授が乙巳条約の原文に条約の名称が抜けており、皇帝の批准に関する文書がないことを発見したことで、新たな局面を迎える。さらに、1993年10月24日には、米コロンビア大学の貴重本図書館で、高宗(コジョン)がホーマー・B・ハルバートを通じ、9カ国の国家元首に、乙巳条約が無効であることを伝えた英文親書が発見された。



confetti@donga.com