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虚しい野慾の最後

Posted April. 08, 2005 23:20,   

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最近、日本政府の検定に合格した日本の中学校教科書が韓日関係史を改悪しており、独島(トクド、日本名竹島)領有権の主張も一層強化されたという。このような動きには、日本政府の高位官僚や政治家たちが直・間接的に介入しており、周辺諸国をもっと驚愕させている。

特に、日本の右翼が後援する扶桑社版の歴史教科書は、自国の侵略政策が植民地の近代化を助けたという厚かましい主張を盛り込んだ。A級戦犯たちの位牌を安置して国政最高責任者が参拜するこの国は、もう国連安全保障理事会の常任理事国入りを狙っている。

しかし、第2次世界大戦の反人類的犯罪に責任を自任したドイツの今日の姿はどうか。

2004年9月、ドイツ全域の映画館でオーリヴァー・ヒルシュビーゲル監督の映画『没落』が封切りされた。1945年4月16日、ソ連軍のベルリン総攻勢から同月30日ヒトラーがバンカーで自殺するまでの、ナチ指導部の最後の14日間を描いたこの映画は、始めから激しい反対や批判にぶつかった。「ヒトラーの人間的面貌を初めて詳しく描き、不必要な憐愍の感情をもよおす可能性がある」との理由だった。戦犯を「あまりにリアルに」描いたということだけでも批判の対象になる国だ。徹底した戦後清算と反省で欧州内リーダーの席を回復したドイツの今日だ。

ドイツの著名な歴史家でジャーナリストであるヨアヒム・フェスト氏が書いたこの本(原題『没落』・Der Untergang、2002年)は、ヒトラーのタイピストだったトラウドル・ユングゲの回顧録とともに映画『没落』の基礎になった本だ。著者は、1955年の捕虜生活から帰ってきた「総統バンカー」関係者たちの証言と、冷戦終息後に公開されたソ連側の資料を精密に比較して、14日間の「滅亡の黙示録」をパノラマのように繰り広げる。

本を開けば、最初に終末に至ったドイツ軍の支離滅裂ぶりが視線を捕らえる。指導部は「前線死守」の命令だけ繰り返しては効果的な防御網構築に重ねて失敗し、最後の救援者という噂が流れたベンク大将は逃走路を確保することにだけに沒頭する。

ヒトラーのバンカーも、彼が愛したヴァーグナーの音楽劇「神々の黄昏」の最後の場面のように、荘厳に黄昏を迎える雰囲気ではなかった。著者のペン先は、終わりかけの帝国の後継の座をめぐって繰り広げる2者の暗闘、西側連合国と強化した後、ソ連と対立しようという虚しい希望、「どうせ奪われるワインなら全部飲んでしまおう」という暗鬱な雰囲気をよく見せてくれる。長年のバンカー生活で顔がただれ、ヒトラーは口元に食べ物をして手を震わせながら歩き回る。

バンカーの風景が劇的に変わるのは、ヒトラーの誕生日である20日。せっかく開かれた酒宴でバンカーは甘ったるいサロンの雰囲気まで漂うが、ヒトラーが「去る者は追わない」と言うやいなや、直ちに脱出の行列がつながる。掠奪と街頭裁判、即席処刑につながる狂乱の中で9日が経ち、ソ連軍の銃弾がバンカーに逹すると、ヒトラーは恋人だったエヴァ・ブラウンと結婚式を挙げる。翌朝、最後に太陽を見るという妻に付いていって、しばらくバンカーの外に顔を出したヒトラーは、彼女に毒を飲ませた後、ピストルで自分のこめかみを撃つ。

著者は、ヒトラーの最後の日々を追いたてた衝動は「没落への意志」だったと分析する。絶えず刺激を追い求めたヒトラーは、ソ連を侵攻して自分の運命を試さなければならなかったし、結果は勝っても負けても構わないというものだった。

ヒトラーは戦争が始まる前、「我々が没落するなら、世界の半分を一緒に没落に追い込む」と公言しており、戦争末期には「退却するときはすべての施設を破壊せよ。文明の廃墟を作る」と話したりした。

このような奇妙な心理状態にもかかわらず、この本と映画『没落』に現われたヒトラーは、犬を撫でて悲しむ恋人を慰める人間的な面貌も持っていた。映画が受けた非難もこの点に焦点が当てられていた。しかし、逆説的にそれこそ著者の意図だったろう。

すべての罪を「私たちと違う」特別な存在に回すとして、私たちが良心の呵責から自由でないということ、ただ絶え間ない熟考と反省だけが人類を悲劇から救うことができるということ、そのことが著者が伝えようとするメッセージではないか。このメッセージこそ、極端的な民族主義を主張する日本の右翼たちが、肝に銘じるべきことではないか。

今月30日は、ヒトラーがバンカーで「没落」して60周年になる日だ。



gustav@donga.com