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永遠なリベロ「洪明甫」、成功の秘訣は徹底した自己管理

永遠なリベロ「洪明甫」、成功の秘訣は徹底した自己管理

Posted October. 05, 2004 21:52,   

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●人生最高の瞬間、「ワールドカップ(W杯)」

韓日W杯、韓国—スペインの準々決勝が行われた02年6月22日、光州(クァンジュ)W杯競技場。PK戦で韓国が4—3でリードしている中、最後のキッカーは洪明甫(ホン・ミョンボ)。固い表情でボールをペナルティーキックマークに置いた彼は、何歩か後ろに下がりながら息を大きく吐き出した後、ボールに向かって飛びかかった。彼が右足インサイドキックで蹴ったボールは11mを飛んでいって、ゴールポストの右上に吸い込まれた。韓国のW杯4強進出が確定したこの瞬間、洪明甫は両腕を飛行機のように広げたまま、グラウンドを疾走した。小学校5年生の時から始めた21年の選手生活、そして4回目のW杯挑戦の末迎えた最高の栄光だった。

当時、ヒディンク監督はPK戦で一番重要な一番目のキッカーを洪明甫と黄善洪(ファン・ソンホン)とどちらにするか悩んでいた。ところで洪明甫が、「僕は死んでも一番目のキッカーはできない」と頭を横に振ったため、最後のキックを彼に任せたもの。

洪明甫はこのように臆病だ。ここに心も優しくてできたニックネームが「フンブ(韓国の伝来童話の主人公で善人という意)」だ。ずいぶん年の離れた後輩たちがいたずらで「明甫」と呼んでも「ハッハ」と笑うばかりのざっくばらんな先輩だ。

そうした洪明甫も怒るときがある。「体力が衰えた」と言われるときだ。「W杯の前、周りから正確なデーターもないのに、僕の体力が落ちたと指摘されるたびに頭に来た」という彼は、そのためなのか、グラウンドに立つと根気強い闘士に変わった。

1990年以後12年間国家代表として活躍して、アジア最初のW杯4回連続出場選手、アジア最初のW杯ブロンズボール受賞という輝く業績を残したのは、そうした徹底した自己管理のおかげだ。

●永遠なリベロ、永遠な自由人

自由人という意味のイタリア語であるリベロ。サッカーで「元祖リベロ」はドイツの「サッカー皇帝」ベッケンバウアーだ。1970年、メキシコW杯の時、ドイツ代表チームで出場したベッケンバウアーはポジションなしにグラウンドを駆け回りながら活躍し、リベロという用語を誕生させた。

リベロになるためには体力と攻撃、守備力を兼ね備えた上、ゲームリーディング能力まで備えなければならない。攻撃手と守備手をすべて経験し、韓国サッカーを通じて一番長く正確なパッシング力を備えた洪明甫は、リベロとして適任者だった。洪明甫は1994年、米国W杯ドイツ—スペイン戦で攻守の大黒柱として2ゴールを記録するなど、リベロの典型を見せた。

サッカー専門家は、「洪明甫ほどのリベロはめったにいない」と評価する。だから洪明甫は「永遠なリベロ」だ。

●成功の秘訣は努力と自分管理

洪明甫が最高の選手として確固たる位置を占めることができた秘訣は何だろうか。トンブク高校先輩で浦項(ポハン)スティーラーズで彼を指導した李会沢(イ・フェテク)大韓サッカー協会副会長は、「洪明甫は本当に頭の良い選手だ。他の選手は考えられない一段階レベルの高いプレーをするため、目立つ」と話した。また、「しっかりしている基本技に賢い頭、徹底した自己管理が最高の選手になった秘訣だ」とつけ加えた。

1990年、イタリアW杯で洪明甫と一緒にプレーしていた金鋳城(キム・ジュソン)サッカー協会国際専門委員は、「明甫は徹底的な努力派だ。サッカーにすべてのことを降り注ぐ努力型天才」と評価した。

また、洪明甫の親友の黄善洪元全南(チョンナム)ドラゴンズコーチは、「明甫はサッカーの勉強に熱心だ。新しいサッカーの流れと戦術を身に付けるために努力した結果、ゲームを見る卓越な目とセンスを持つようになった」と話した。



權純一  stt77@donga.com