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戦争と暴力支配の犠牲者

Posted April. 25, 2019 09:00,   

Updated April. 25, 2019 09:00

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ピエタは、死んで十字架からおろされたキリストを聖母マリアが抱く彫刻を指す。

ドイツの版画家、彫刻家のケーテ・コルヴィッツが作ったピエタは、一般的なピエタ像とは違い、聖母が死んだキリストを背後から抱きかかえている。片方の手で口を覆い、もう一方の手は死んだキリストの手を撫でている。喪失の悲しみを越えたある種の奥深さの境地に佇む母親の姿は見る人々を厳かにさせる。

この作品は、戦争で子どもを失ったコルヴィッツ自身の経験から生まれた。プロイセンの中産層出身であるコルヴィッツは、24歳の時、医師のカール・コルヴィッツと結婚し、貧しい民衆の暮らしに目を向けることになる。夫はベルリン郊外に慈善病院を建て、貧しく疎外された人々のために献身し、コルヴィッツは、これらの人々と共に暮らし、彼らの暮らしを描いた。ドイツの労働者のみじめな現実を表現した版画連作「職工たちの反乱」で名声を得たコルヴィッツは、労働、貧困、病気、死、反戦などを主題にした作品を発表し、不当な権力に抵抗する芸術家の表象になった。しかし、第1次世界大戦が起こり、大きな試練を経験した。次男のピーターが戦死したのだ。後に孫のピーターも第2次世界大戦で命を失った。

 

息子を失った母親は戦士になった。戦争の惨状を告発する作品を通じて実践する芸術家に生まれ変わった。ナチス政権がコルヴィッツの展示を禁止したが、むしろ反戦メッセージを伝えるピエタを描き、戦争で子どもを失ったこの地のすべての母親の声を代弁した。ブルジョア知識人として生きることもできたが、生涯を貧しく疎外された弱者の側に立って彼らを擁護したコルヴィッツは、1945年4月22日に亡くなった。戦争が終わるわずか16日前だった。

93年、ドイツ政府は戦争被害者を追悼する記念館、ベルリン「ノイエ・ヴァッヘ」を再開し、コルヴィッツのピエタを拡大・複製して設置した。彫刻の前には「戦争と暴力支配の犠牲者」という文言が大きく刻まれている。