「プリーモ・レーヴィはアウシュビッツで死んだ。そこから出た後40年後に」
ノーベル平和賞受賞者であり作家でもあるエリ・ヴィーゼルは、プリーモ・レーヴィの突然の死をこのように悼んだ。ヴィーゼルと同じホロコースト生存者だったレーヴィは1987年4月、イタリア・トリノの自宅で自ら命を絶った。化学者だった彼は、『これが人間か』、『周期律』などの文学作品を通じて残酷な時代の真相を伝えたことで有名だ。自らも「話が最高の治療薬」とし、過去を克服しようとしたレーヴィは、ついに苦しみから脱することができなかった。
この本は、レーヴィが命を終える前、3回行われたインタビューの内容を含む。イタリアの文学教授で、レーヴィと10年間親交があるジョバンニ・テシオがインタビュアーだ。2人はレーヴィの自叙伝を書くために録音機を間に置いて少しずつ過去を辿る。3回目のインタビューの後、アウシュビッツ収容所での話をする直前、レーヴィの死によってインタビューは中断した。
インタビューは非常に伝統的な方法で行われた。レーヴィの両親をはじめ家族の話で始め、彼の幼年時代や学生時代など時間順に人生を振り返る。レーヴィは落ち着いた口調で正直に自身の記憶を語る。極度に内気な性格のため、女性との関係が困難だったとか、周囲の人々に対して自身がどんな考えを持ったのかなどだ。そして、苦しい記憶について詳しく話すことをちゅうちょする様子も見られた。
突然中断したインタビューのため、アウシュビッツに関する直接的な話は出てこない。彼の本を読んだことのない読者なら、作品を先に読むことでより感じることができるだろう。しかし彼の文を感銘深く読んだ読者なら、本を執筆することになった様々な背景を推察でき興味深いだろう。
また、直接的な言及がなくてもファシズムの狂風がどのように日常を徐々に壊していくのか間接的にその囲気を感じることができる。亡くなってから分かった彼のうつ病と罪悪感、トラウマの跡もぼんやり感じられる。
金民 kimmin@donga.com