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日帝統治機関所属の朝鮮人の多数も万歳運動に参加、3・1運動投獄者分析で新たに判明

日帝統治機関所属の朝鮮人の多数も万歳運動に参加、3・1運動投獄者分析で新たに判明

Posted February. 20, 2019 08:04,   

Updated February. 20, 2019 08:04

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植民地支配期、警察の補助員だった朝鮮人巡査補のチョン・ホソク氏。チョン氏は1919年3月1日、徳寿宮(トクスグン)大漢門を守るよう上部から指示を受けた。しかし、京城(キョンソン)市内に響き渡る万歳示威の声は、彼の人生を一変させた。

3月5日、チョン氏は左手の薬指を噛んで太極旗を描き、竹の棒について家を出る。彼が向かったのはソウル麻浦区大興洞(マポク・テフンドン)にあるホンヨン学校。ここで学生たちに示威への参加を呼びかける。約20人の学生を率いて麻浦区孔徳洞(コンドクトン)まで行き、夜を徹して万歳運動を展開した。

所属する日帝警察に捕まったチョン氏は、翌年2月27日、京城覆審法院で保安法違反の罪で1年の実刑を宣告され、同年5月29日に満期出所した。

●老若男女、職業を総網羅した挙国的示威

3・1運動に参加した疑いで西大門(ソデムン)刑務所に投獄された1012人の情報を分析した西大門刑務所歴史館のパク・ギョンモク館長の研究「西大門刑務所3・1運動収監者分析」では、このように日帝植民地統治機関の行政組織に所属した人々の多くが3・1運動に合流したということが明らかになった。

忠清南道唐津市大湖芝面(チュンチョンナムド・タンジンシ・テホジミョン)の役場の小使だったソン・ジェマン氏は当時、忠清(チュンチョン)地域の3・1運動「4・4万歳運動」を主導した容疑で投獄された。慶尚北道安東市礼安面(キョンサンプクト・アンドンシ・イェアンミョン)の面長だったシン・サンミョン氏も、地元住民を組織的に動員して示威を行った容疑で警察に逮捕された。

受刑者の職業を分類した結果も出た。なんと80余りの職業が登場した。学生、キリスト教の牧師や伝導師、天道教の教師、臨済宗仏教の僧侶のように3・1運動を主導した集団だけではなかった。印刷所の従業員や店員、古物商、雑貨商、馬車屋など職業と階級を越えて参加したことが分かった。

3・1運動に参加した年齢も興味深い。1012人の中で年齢を確認できる985人を見ると、20代が39%で最も多かった。続いて30代(22%)、40代(15%)、10代(12%)、50代(7%)、60代以上(2%)の順となった。植民地支配期の西大門刑務所の収監者中、20代が57%で圧倒的に多かったことと比較される。

朴氏は、「3・1運動当時、20代の若者の参加が少なかったのではなく、10代と30代以上などすべての年齢が等しく参加し、相対的に20代の割合が下がった」とし、「職業と年齢を越えた国を挙げての万歳示威だったという点が統計分析を通じて客観的に証明された」と強調した。

●家族と級友が万歳示威に参加

これまで知られていなかった女性の参加者も確認された。特に、ソウル・セブランス病院の医学専門学校の看護師だったノ・スンギョン、キム・ヒョスン、イ・シンド氏らは、学校の友人だった。彼女らは1919年12月2月、宗廟(チョンミョ)前で赤い文字で「朝鮮独立万歳」と書いた旗を掲げ、20人余りの群衆を率いて万歳示威を主導して投獄された。人物カードには「京城南大門(ナムデムン)医学専門学校付属看護婦養成所寄宿舎」と住所が記されている。

3・1運動の歓声示威は1年が経った1920年にも行われた。ソウル培花(ペファ)女子学校の在学生だったキム・マリア、ソ・ウンスク、アン・ヒギョン、ソン・ヨンソン氏らは、3・1運動1周年を迎え、1920年3月1日、培花女子学校の寄宿舎の裏で万歳示威を行った。女子学生24人が警察に逮捕される事態が初めて起こった。

日帝は、3・1運動加担者に思想犯に対する「保安法」を適用した。これにより、90%にのぼる投獄者が裁判所で6ヵ月以上の実刑を言い渡された。10年以上の重刑を受けた人もいた。さらに一部の参加者は「内乱罪」で起訴された。

朴氏は、「現在の集会および示威に関する法律と比較しても、過度に思い刑が下されたと見ることができる」とし、「今の私たちのように平凡な人々が繰り広げた偉大な独立運動である3・1運動の真の姿を韓国社会が共有してほしい」と話した。

今回の研究内容は、25日に西大門刑務所歴史館で開かれる学術シンポジウム「西大門刑務所3・1運動収監者現況と特徴」で発表される予定だ。研究資料集は26日、全国の図書館などに配布される。


柳原模 onemore@donga.com