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悲しみの神を超えて

Posted December. 19, 2018 08:46,   

Updated December. 19, 2018 08:46

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ベトナム戦争を題材にしたバオ・ニンの小説「戦争の悲しみ」には、このような一節が出てくる。 「悲しみのおかげで、私たちは、戦争から抜け出すことができたし、慢性的な殺戮の光景、暴力と暴行の精神後遺症に埋没されることも避けることができた」。どんな意味だろうか。

主人公のキエンは、タイトルと似ていて「悲しみの神」と呼ばれる。いつも悲しい顔をしていてつけられたニックネームだ。彼にはすべてのことが悲しい。何百万人に及ぶ人々が死んだのに、自分だがけが生き残ったことが悲しいし、戦争が引き裂いた祖国の凄惨な姿が悲しい。満身創痍になった愛も悲しい。そのため、憎悪や復讐の感情が入り込む余地がない。遺体発掘団に参加して、天に昇らず、山川をさまよう霊を慰め、彼らの魂が率いるように彼らの悲しい物語を伝えるだけだ。彼の人生はそのように悲しみに消尽されるが、作家は、それは「幸せよりもっと高貴で上品な感情」であり、傷を克服するための手段だと思う。この戦争小説に憎しみの感情がない理由だ。

そのためか、ベトナム人は悲しみを乗り越えて、戦争から成功的に脱したように見える。2018年、スズキカップで優勝した彼らは、金星紅旗と太極旗(テグッキ)を一緒に振りながら歓声を上げた。韓国人が監督だという理由だけでそうだった。米国の友好国が派遣した40万人の軍人のうち、32万人が韓国軍だったという事実を知らないはずないだろうが、彼らには憎しみがなかった。ベトナムの選手が太極旗を身にまとって競技場で歓声を上げ、またそれを容認するベトナム国民の姿は美しく、胸にジーンときた。

美しいことは、ベトナムを応援する私たちの心も同じだった。私たちの中に閉じ込められていた申し訳なさが、彼らのサッカー試合を応援しながら私たちも知らないうちに出てきた。ベトナムの国民に優勝の栄光を帰しながら、「私を愛してくださるように、私の祖国である大韓民国も愛してください」と言う朴恒緖(パク・ハンソ)監督の歴史意識も美しいのは同じだった。そのような歴史意識が、和解と癒しの礎だ。