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欧州で資本主義が花を咲かせた18世紀…朝鮮はどうだったのだろうか

欧州で資本主義が花を咲かせた18世紀…朝鮮はどうだったのだろうか

Posted June. 16, 2018 09:12,   

Updated June. 16, 2018 09:12

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「『タバコを買って!」と叫ぶ声が切れたり続いたりし、門屋には灯が灯りて路地が明るい。のどかな4、5人が腕組みをして言うのね。「昨夜、グンチルの家でお酒を新たに仕込んだよ」「(徐命寅(ソ・ミョンイン)の「取斯堂烟華錄」より)

1766年のある春の日。漢陽に住んでいたソンビの徐命寅(1725~1802)は、友人と鐘楼(今の鍾路)通りを歩いていて、このような詩を残す。ここで「グンチル」とは、鐘路で最も有名な飲み屋だった「グンチルの家」を意味する。直接仕込んだ酒の味が一品であるだけでなく、ケジャングクを主なつまみとする様々な魚肉の評判で持ちきりだった。

18世紀の漢陽(ハンヤン)は当時、朝鮮人口800万人のうち30万人が集まって暮らす巨大な都会であった。特に飲み屋が最も盛んな業種だったが、これにより、朝鮮の祖宗では禁酒令を頻繁に下すこともした。

同じ時期、欧州では何が起こっていたのだろうか。17世紀の「チューリップ狂風」を経験したオランダの首都アムステルダム。この都市は、1世紀が過ぎて、今日の先物取引と同様の金融制度と様々な取引所が生まれるなど、資本主義が花を咲かせた。しかし、欧州各地の貧困層が集まったことで、深刻な貧富の格差と階級差別という副作用に苦しんだりもした。現代の世界金融の中心地であるニューヨークのウォール街。当時ここには原住民の攻撃を防ぐために、実際に城壁(wall)が存在したという。

この本は、「韓国の18世紀学会」で活動する人文学者25人が、朝鮮の漢陽から欧州と北米、アジア各都市の18世紀の社会像にスポットライトを当てた。彼らは、「18世紀は欧州では産業革命が始まり、東アジアは政治的安定の中で高度経済成長を成し遂げた時期で、現代的な都市の成長に最も重要な時だった」と説明する。

冒頭で鄭炳說(チョン・ビョンソル)ソウル大学国文科教授は、「数千年の歴史の古い都市の旧都心に降りて、ホテルで荷物を解いて、ゆっくりと市内を歩きまわり、オープンカフェに座って一杯のコーヒーを飲みながら読まれることを願う」と読書ガイドを示す。ゆっくり18世紀の都市を吟味するほど、読む味が良くなる本だ。


柳原模 onemore@donga.com