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大ヒットした「死の賛美」…それを真似した「哀傷賦」は大失敗

大ヒットした「死の賛美」…それを真似した「哀傷賦」は大失敗

Posted February. 09, 2018 08:08,   

Updated February. 09, 2018 08:08

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昨年末、有名歌手の自殺で韓国社会がひとしきり大騒ぎとなりました。自分の死を暗示するような歌詞は、まさに衝撃的だったんですね。日本植民地時代にも有名人の死は、大衆にとって大きな関心事でした。19歳で早死にした朝鮮のダンス歌手「崔香花(チェ・ヒャンファ)」や「康明花(カン・ミョンファ)の歌」という歌まで作られた名妓、康明花の死が代表的です。

1926年に玄界灘に身を投げた尹心悳(ユン・シムドク)、金祐鎭(キム・ウジン)のいわゆる「情死」事件は、有名人の死がマーケティングに活用された最初の事例です。日東レコード社は、尹心悳死後から2週間後に「死の賛美」を発売して、「死の賛美を最後に歌って、海原に身を投げた朝鮮唯一のソプラノ」と広告します。日東の「故人マーケティング」は大成功を収めます。

しかし、「死の賛美」が持つ憂鬱な情緒と喪失感に満ちた歌詞は、3・1運動(独立運動)の失敗後、蔓延していた若者たちのニヒリズムをさらに刺激します。「死の賛美」は大ヒットしたが、かえって日本帝国は怖かったでしょう。これらの感情は一瞬にして恨みに変わり、日本帝国に対する憤りに方向を変えれば、取り返しのつかない怒涛になりますから。

「死の賛美」から始まった厭世的情緒は、1931年の名曲「放浪歌」でピークに達します。知識人たちはマスコミを通じて、流行歌謡が退廃主義を助長すると猛非難します。ニヒリズムに陥った若者たちを戒めます。このような雰囲気を背負って生まれた歌が、1934年の日東の「哀傷賦」でした。歌を歌った歌手は、日本の東京音楽学校で声楽を専攻したソプラノの朴景嬉(パク・ギョンヒ)です。尹心悳と同じ平壌(ピョンヤン)出身で、全日本新人音楽コンクールで韓国人としては唯一入賞して注目を集めます。これに目をつけていた日東が、朴景嬉を抜擢します。しかし、その結果は大失敗でした。

「死の賛美」と「哀傷賦」の間には、克明な感情のコントラストがあります。

死の賛美は、「涙でできているこの世に、私だけが死ねばそれまでだろうか。幸せを探す人生たちよ、お前が探しているのは悲しみ」という歌詞で、放浪し挫折する朝鮮の若者たちの痛みをなだめています。しかし「哀傷賦」は、「涙でできているこの世の中で、私が死ねばそれまでだろうか。幸せを探す人生たちよ、むなしい心配などするな」という歌詞で、これらの青春を訓戒しています。叱責。これこそ「哀傷賦」が失敗した決定的な理由です。

巧みに尹心悳を重ねて、利益を得ようとしたレコード会社と、朝鮮の若者たちの情緒に不満を感じてこれを訓戒したかった日本帝国の理解が合致して誕生した「哀傷賦」。しかし、尹心悳のデジャビュだけ見ただけで、「哀傷賦」や「朴景嬉」を覚えている人はあまりいません。

国楽評論家


田承勳 raphy@donga.com