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韓米FTA、刃を隠せ

Posted November. 24, 2017 09:45,   

Updated November. 24, 2017 10:16

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1989年10月10日午前。政府果川(クァチョン)庁舎1棟の農林水産部(現・農林畜産食品部)にショートヘアの西洋人女性が到着した。世界の貿易界への影響力が最も大きい米通商代表部(USTR)の代表、カーラ・ヒルズ氏だった。「刃」という異名がつくほど強硬派で有名だった。だだっ広い1階のロビーでヒルズ氏を迎えたのは、農林部国際協力課の事務官1人だけだった。牛肉市場開放を迫る米国に対する無言の抗議だった。

農林部長官と対座したヒルズ氏は、クォーター制限を撤廃して牛肉の輸入自由化を求めた。長官は、「牛肉輸入問題を解決できるなら辞表を出す」と決意を示した。それだけ政府の意志は強かった。

ヒルズ氏は退かなかった。「性急な開放要求は自制してほしい」と懇請した盧泰愚(ノ・テウ)大統領に対して、「進展がなければならない」と言い放った。財界の総帥が総出動した対米通商使節団が、米ワシントンでボーイング航空機を購入する「契約セレモニー」を行ったが、「どうせ航空機は米国でなければ買うところがない」という冷ややかな反応を受けただけだった。次に就任した金泳三(キム・ヨンサム)大統領が、「コメの輸入だけはいかなる方法を使っても阻止する」と公言したが、帰ってきたのはウルグアイラウンド(UR)合意だった。

30年余りの歳月が流れた今でも、米国の韓国に対する通商圧力は変わっていない。政府、政界、商工業界がそれぞれ声のトーンは違っても、「米国産の商品をもっと買わなければならない」という原則だけははっきりと伝わっている。

 

韓米通商交渉で変わらないことがもう一つがある。韓国政府のドタバタ対応だ。「不公正な貿易を正せ」という米国の一貫した要求に、韓国はいつも、「原則と基調は何か」が分からなくなるほど右往左往する。一方で対米使節団を送って求愛し、他方で「豪華輸入品の税務調査」に乗り出すといった具合だ。30年前、政府が煽って市民団体が先頭に立った輸入品追放キャンペーンに、米政府は「国粋主義に対する憂慮を禁じ得ない」と非難した。結局、韓国は交渉の間、言いなりになってこれというカードも出せず、流通、金融、自動車などの市場開放要求を聞き入れることとなった。

歴史の失敗が繰り返されてはならないが、残念なことに現実はそうではない。韓米自由貿易協定(FTA)を改正しようというトランプ米大統領の要求に「市場調査からしよう」と生半可に対応し、「本当に廃棄する」と迫られてあたふたと改正交渉のテーブルについた。韓米首脳がかろうじて「均衡的貿易増進に向けて韓米FTA交渉を促進する」ということで合意した10日後には、与党代表は「トランプ政権と話しが通じず、大変失望した」と非難した。産業通商資源部長官は、「あまり農業の話だけすると弱点をつかまれる。農業がレッドライン」と話す。「手の内を見せてはならない」という交渉の第1原則を政府と与党が自ら放棄した格好だ。

今は多くを語る時ではない。米国の要求を正確に把握し、政府と業界が力を合わせて韓国の利益をいかに最大化できるか悩む時だ。反対世論をなだめるために守ることもできない約束を乱発したり、相手を刺激する必要はない。「交渉家は予測不可能に行動しなければならない。相手が想像できないゲームをしなければならない」。金鉉宗(キム・ヒョンジョン)通商交渉本部長が常に口にする交渉の原則だ。金氏のこの原則が言葉だけで終わってはならない。険しい韓米FTA改正交渉は、まだ第一歩も踏み出していない。