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忠壯路の光州劇場、臨検と自由席の記憶

Posted September. 14, 2017 09:08,   

Updated September. 14, 2017 09:18

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「臨検に来ました」。1970年代前後の通俗小説にしばしば出てくる言葉だ。臨検とは、行政機関の職員が現場調査をすることを意味する。小説の中の臨検場所は、主に旅館やバスターミナルなどだった。月日が経って、今はほとんどなくなった風俗、臨検。その古い用語に出会える場所がある。光州市東区忠壯路(クァンジュシ・トング・チュンジャンロ)にある光州劇場。1935年10月のオープンから、今年で開館82周年を迎える。3つの階、856席にスクリーンは一つだ。大企業の複合上映館が大半を占めている昨今、単館劇場は極めて珍しい存在だ。

光州劇場は開館当時から「朝鮮第一の大劇場」という賛辞を受けた。しかし残念ながら1968年に火災が起きた。窃盗犯が電気モーターを盗む過程で火災が起き、建物がほとんど燃えてしまった。今の劇場の建物は、その時再建されたものだ。

劇場のあちこちには月日の跡がいっぱい詰まっている。外壁にかける映画看板はまだ経歴30年の映画看板専門画家が直接描く。中に入ると、「映画は広告なしに定時に開始します。上映館は一つです。指定席ではありません…」と書かれた案内板がある。チケットを買って入り、どこでも好きな席に座ればいい。建物の内部には光州劇場の歴史を収めた写真や昔の映画のポスターの立て看板などが展示されている。2階に上がると、かなり大きな映写機二台が目に入ってくる。1950年代、60年代に使われたものだ。

ここにはドアが本当に多い。1、2、3階までドアがなんと13個。1階の中央ドアの横には秘密めいたドアがもう一つあり、その上には「臨検席」と書かれている。ドアを開けて入ると、1階の観覧席の後ろに繋がっていて、1階が一目に入ってくる。 1970年代、ここで、学生主任教師や警察が青少年らの映画観覧を指導し、取締りを行っていた。今は想像しがたいことだが、その頃はそうだった。光州劇場の臨検席は、日本植民地時代までさかのぼる。当時、日本帝国警察は、映画や公演の内容を検閲し、韓国人たちを監視するために臨検席を要求した。

1935年、ソウルにはスカラ劇場ができた。そのスカラは、2005年、建物の解体とともに歴史の中に消えた。82歳の劇場が、古い伝統を守りながら一つのスクリーンに頼って、独立芸術映画を上映するのは至難のことだ。10月になると、光州劇場を愛する人々が集まって、開館82周年の記念映画祭を開く。来年も10月はまた訪れてくるだろうし、早くから「光州劇場100年」が待たれる。

オピニオンチーム長・文化遺産学博士