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遊牧帝国の匈奴に「タムガ」という固有文字があった

遊牧帝国の匈奴に「タムガ」という固有文字があった

Posted May. 04, 2017 08:34,   

Updated May. 04, 2017 08:35

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古くから農耕民族は遊牧民と自分を区別する核心要素に文字を掲げた。複雑な文法体系を備えた文字がなく行政命令すら口頭に依存した遊牧帝国を中国人は野蛮と見た。しかし、匈奴など遊牧帝国に対する様々な考古資料の蓄積により、遊牧民族も基本的な文字生活を営んでいたという主張が提起されている。

中国の史書「史記」は、「匈奴人は書面の約束も言葉でする」とし、後漢書も「匈奴は罪人に対する訟事を単于に口頭で報告し、文書や記録を残さない」と書いた。大帝国匈奴に対する歴史記録が絶対的に不足している理由だ。慶煕(キョンヒ)大学のカン・インウク教授(北方考古学)が最近発表した論文「匈奴人の文字、そしてユーラシア遊牧帝国の展開」は、匈奴の文字使用の可能性を提示しており、注目される。匈奴は文字を持たなかったという一般常識に反する主張だ。

論文によると、モンゴルの首都ウランバートルから100キロ北方にある匈奴の王墓があるノイン=ウラで字が彫られた漆器が発見された。中国製の漆器の底には漢字とともに匈奴特有の「タムガ(tamga)」が発見された。タムガとは、持ち主を識別できるように家畜に押す烙印のように遊牧民が使う固有記号をいう。これと関連して、匈奴の貴族が埋葬されたゴールマッドの古墳から出土したサイコロにも似た模様のタムガが確認された。カン教授は、「匈奴が拡散した地域にタムガ模様が共通して発見されている」とし、「これらは太陽が昇る形であり、王を象徴化したようだ」と説明した。

 

これと関連して、機動力と迅速な意思決定が最大の強みである遊牧帝国の属性上、文字行政がかえって障害になったという見方が示された。例えば古代シルクロードに進出した漢は行政記録と保管に少なからぬ人と時間を消耗した。広い砂漠地帯で、戦略のために警戒所を移す度に手押し車何台分もの木簡をいちいち積み出さなければならなかった。

一方、広大な地域を移動する遊牧民を治めた匈奴は、単純化した命令を口頭で速かに伝える方法を取った。古墳の副葬品に刻まれたタムガのように各種儀礼や身分象徴の道具にだけ字を使ったということだ。カン教授は、「匈奴は文字に基盤を置いた行政組織と官僚制を捨てたおかげで迅速に草原帝国を興すことができた」と指摘した。



金相雲 sukim@donga.com