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指揮棒のために死んだ作曲家「リュリ」

Posted March. 21, 2017 08:27,   

Updated March. 21, 2017 08:27

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指揮棒のために死んだ作曲家「リュリ」
音楽家は、それぞれ自分の楽器(Instrument)を持っています。指揮者も道具を持っていますが、それは音が出ません。もっと言えば、なくてもかまいません。ほかならぬ指揮棒(Baton)のことです。

昨今のような指揮棒は、概ね1810年から1840年の間に広がりました。浪漫主義の初期時代ですね。作曲家であり、指揮者としても有名だったメンデルスゾーンが、この指揮棒の普及に大きな役割を果たしたと言われています。指揮棒を使えば、指揮者の拍子と強弱の指示が大きくよく見えるし、暗い照明の下でも容易にわかります。でも、指の繊細な表情を生かすことができないなどの理由で、指揮棒を使わない指揮者も大勢います。ロシア・マリインスキー劇場の総監督であり、英ロンドン交響楽団の首席指揮者でもあるヴァレリー・ゲルギエフは、つまようじほどの指揮棒を手にして指揮することで有名です。

ところが、指揮棒は、浪漫主義時代よりもはるか前だったバロック時代にも使われていました。この時期は、楽団の合奏自体が精密ではなかったので、拍子がずれないようにすることが、楽団の大きな課題だったそうです。それで指揮者は、大きくて重い木の棒で、演奏会場の床をどんどんとついて、拍子が一定になるように励ましました。そのため、音楽史上の有名なある出来事が起きました。

1687年、フランス王・ルイ14世の宮廷音楽家だった作曲家のジャン=バティスト・リュリが自分の讃美歌(Te Deum)を指揮していたところ、つい、この大きくて重い指揮棒でつま先をついてしまったのです。傷が膿んで敗血症につながり、フランス古典歌劇やバレエの先駆者だったリュリは、ついに、指揮棒に命を奪われてしまいました。

一世代前までは、リュリのように、「音楽の父」バッハや「音楽の母」と呼ばれたヘンデル以前の音楽家たちの作品を聞く機会は多くありませんでした。しかし、デジタル時代の開幕以来、多くの国々の初中期のバロック音楽が持つ独特の魅力が再発見され、今日では彼を死に導いた「テ・デウム」をはじめ、アルバムもいくつか出ています。明日(22日)は、「太陽王の男」だったリュリが、指揮棒のせいで死亡してから330周年になる日です。



유윤종 ユ・ユンジョン記者 gustav@donga.com