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新羅の殯葬、慶山林堂洞の古墳で初めて確認

新羅の殯葬、慶山林堂洞の古墳で初めて確認

Posted March. 16, 2017 08:22,   

Updated March. 16, 2017 08:22

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新羅の殯葬、慶山林堂洞の古墳で初めて確認
新羅(シンラ)地方の支配層の墓である慶尚北道慶山市林堂洞(キョンサンプクト・キョンサンシ・イムタンドン)の古墳から殯葬が行われたという主張が提起された。

殯葬とは、埋葬前に遺体を喪屋に安置して一定期間執り行われる葬儀だ。隋書などの中国史書によると、高句麗(コグリョ)と百済(ペクチェ)は3年、新羅は1年かけて殯葬が行われたとされるが、まだ明確な考古学的証拠は発見されていない。林堂洞古墳の殯葬の主張が事実と明らかになれば、新羅の殯葬を示す初めての事例となる。

嶺南(ヨンナム)大学博物館のキム・デウク学芸研究員は、古墳文化研究会で発表した論文「新羅古墳内の殯の可能性検討」で、古墳内の「造永EⅡ-2号」墓で発見された人骨3体に対する新たな分析結果を紹介した。岩盤を掘って木槨を設置した後、木棺を納めたこの墓は、6世紀初期、新羅の地方支配層が埋葬されたと推定される。墓は主と殉葬者を納めた主槨と各種副葬品や祭事料理を入れた副槨で構成されている。

1988年の発掘当時、主槨から人骨2体だけが発見された。2体のうち頭を東側に向けた遺体は主、西側に向けた反対側の遺体は殉葬者と見られた。しかし疑問はあった。人骨の間の墓の中間では、支配層の威勢品である金銅冠や金銅靴、銀で作った腰ひも、銀の指輪なども出土したが、金銅冠などが遺体にかけられた状態で埋葬するいわゆる「着装遺物」であるにもかかわらず、人骨と威勢品の出土の位置が一致しなかったためだった。

なぞは最近人骨分析専門家たちによって解かれた。墓内の人骨を再分類する過程で、さらに遺骨1体が発見されたのだ。大腿骨2点だけなので、発掘当時は別の個体と把握することができなかったものと見られる。分析の結果、既存の遺骨2体は、15~18歳、7~12歳であるが、新たに発見された遺骨はこれらより年上であることが明らかになった。金銅冠と金銅靴の主は別にいたのだ。

キム研究員が注目したのは、新たに確認された遺骨の状態だ。頭蓋骨から肋骨、脚の骨まで人骨の形態を備えた殉葬者2体に比べて、墓の主は残っている遺骨が少ないうえ、腐敗状態もはげしいと調査された。理由は何か。これについてキム研究員は論文で、「墓の主が埋葬される前、一定期間仮埋葬されて遺体の大半が腐敗したため、このような現象が起きたと見られる」と指摘した。埋葬直前に殺される殉葬者に比べて殯葬を経た墓の主の腐敗の程度が相対的にはげしいということだ。

昔の人が、遺体が腐敗するにもかかわらず敢えて殯葬を行った理由は何か。キム研究員は、「かなりの量の副葬品や祭事料理を確保するための時間が必要だったため」と分析した。実際、林堂洞古墳内の副槨からは、牛や猪、鶏、犬、キジ、鶴、鯉、あんず、桃をはじめ海で獲れるブリ、真鯛、フグ、サメ、サザエ、巻貝、アワビ、マガキなど様々な祭事料理が発見された。



金相雲 sukim@donga.com