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3・1万歳デモの具体的な移動経路が初めて明らかに

3・1万歳デモの具体的な移動経路が初めて明らかに

Posted January. 16, 2019 09:04,   

Updated January. 16, 2019 09:04

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「3月1日午後2時、パゴダ公園(ソウル鍾路区タプコル公園)で集まって万歳三唱する。その後3組に分かれて行進し、午後4時に本町(忠武路)に集結する」

1919年3月1日。京城市内を「独立万歳」で覆った3・1万歳デモの計画だ。約束したとおりパゴダ公園に集まった人々は、3組に分かれて京城市内に進撃した。約200人で始まったデモは午後4時になると3千人余りに増え、本町の通りに集まった。目標は南山(ナムサン)の麓にある朝鮮総督府だった。

3・1運動100年を迎え、当時の万歳デモの具体的な移動経路を初めて把握した研究結果が出た。韓国史研究会の朴贊勝(パク・チャンスン)会長(漢陽大学史学科教授)は、学術誌に発表予定の論文「万歳デモの起爆剤になったソウルデモ」で3・1運動に加わった疑いで裁判にかけられた人々の裁判調書、判決文、朝鮮軍司令部の文書などを分析し、当時の緊迫した動きを調べた。

 

朴氏は、「これまで3・1運動の研究が多く行われたという先入観と日本語で残された一次史料の不十分な翻訳のため、最も重要な3月1日当時のデモの経路が十分に確認されなかった」とし、「総体的に分析した結果、3・1万歳デモが海外領事館に独立宣言書を伝えるなど事前に緻密な計画を立てていた事実も明らかになった」と話した。


柳原模 onemore@donga.com