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「戦略を持つ反抗児」、マルセル・デュシャン展開催

「戦略を持つ反抗児」、マルセル・デュシャン展開催

Posted December. 28, 2018 08:33,   

Updated December. 28, 2018 08:33

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「反抗児(rebel)、しかし戦略を持つ反抗児」

22日に開幕した国立現代美術館ソウルの「マルセル・デュシャン」展のキュレーター、マシュー・アフロン氏は、20世紀現代美術の扉を開いたマルセル・デュシャン(1887~1968)をこのように定義した。今回の展示では、米フィラデルフィア美術館が所蔵するデュシャンの作品約150点に会うことができる。

展示はデュシャンの初期から晩年の作品まで時間順に構成される。東京、ソウルに続きオーストラリア・シドニーを巡回する展示のため、デュシャンの人生と芸術の全般を見せる作品が厳選された。初期の油絵から「泉」、「ビン掛け」などレディ・メイドと後期のミニチュア、彫刻だけでなく最後の作品「遺作」にも会える。

アフロン氏に会って「デュシャン」展の観覧ポイントを聞いた。アフロン氏は、デュシャンが規則を破壊する過程がまるでチェスゲームのようだと説明した。デュシャンは実際、チェスのプロ選手だった。

「デュシャンは26歳で油絵を放棄し、『レディ・メイド』を発明する。チェス選手になった後『ローズ・セラヴィ』という仮名で芸術をする」

その後、錯視や彫刻を活用する全般的な過程が非常に論理的だという。

「一手を打ち、次に何をするのか考えた後、また大胆な手を打つといったやり方です。なので、作品を順に、脈絡の中で見れば理解しやすいです」

デュシャンは、美術館に便器を持ってきて「泉(Fountain)」という題名をつけた破格性、挑発性でよく記憶される。しかし、アフロン氏は、デュシャンは自分が何をするのか正確に知っていた戦略家であり、20世紀の重要な美学的な質問を投げかけた思想家だと説明する。

「スタイルを破ることは、当時の芸術家が好んで使った方法です。立体派、ダダ芸術すべて衝撃で、観客の注目を引きました。これを誰より上手くしたのがデュシャンですが、衝撃だけだったなら、その意味が続かなかったでしょう」

デュシャンが投げかけた美学的質問は、「手で作る芸術」の定義を破ること、アイディアだけでも芸術になれることを示すことだった。レディ・メイドの作品の大半は、1950年代にデュシャンが有名になった後に再び作られものだが、デュシャンは意に介さなかった。重要なのは物ではなくアイディアだったからだ。

「デュシャンは作品が一ヵ所に集まるよう神経を使いました。そのため彼は1940年代に美術館が作品の所蔵を始めた時、展示と図録のデザインにも参加しました。パトロンのアレンスバーグ夫妻に作品の購入も助言しました。作品の数が少なく、脈絡が重要なので、ばらばらになると後代が理解できないということがよく分かります」

アレンスバーグ夫妻は1946年、作品の大半を市民が見ることができるようにフィラデルフィア美術館に寄贈した。この作品を見に米国だけでなく全世界の人々がフィラデルフィアを訪れる。アフロン氏は作品の交換のためにギャラリーを閉める度に残念がる外国人観覧客に会ったという。このため、デュシャンが亡くなって50年が経った今、韓国を訪れることになったことが意味深いと語った。

「図録を若い人も簡単に見ることができるよう安く作りました。デュシャンに会いたければ、後方のインタビューを先に見ることを薦めます。さらに深く知りたければ、フィラデルフィアに来てください!」

来年4月7日まで。4千ウォン


金民 kimmin@donga.com