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「私は朴贊郁監督のファン…『オールドボーイ』は私の人生映画」

「私は朴贊郁監督のファン…『オールドボーイ』は私の人生映画」

Posted November. 29, 2018 08:19,   

Updated November. 29, 2018 08:19

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2015年11月13日、世界を衝撃に陥れたフランスはパリのテロ追悼行事で、バッハの無伴奏組曲2番サラバンドが鳴り響いた。フランス全体が息を殺して旋律に耳を傾け、黙祷が続いた。音楽だけで可能な魔法ともいえる瞬間だった。演奏の主人公であり、フランスの次世代チェリストとして最も注目されるエドガー・モロー(24)が、12月4日、初の来韓舞台に立つ。公演に先立ってパリで彼に会った。

――なぜ追悼演奏をすることになったのか。

「パリのテロ犠牲者のほとんどが若い人たちだった。現在活動している演奏者の中で私が最も若かったので連絡を受けることになり、フランソワ・オランド大統領(当時)が、必ずバッハの無伴奏チェロでなければならないと主張したそうだ。犠牲者の家族の悲しみと絶望の顔の前で演奏した記憶はまだ生々しい」

――韓国で初めて演奏をする。ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲だが。

「韓国は初めてなので期待が大きい。4歳の時にチェロを始め、13歳でパリ高等国立音楽院に入って韓国出身の何人かの友人たちとも会った。また、私は朴贊郁(パク・チャンウク)監督の熱烈なファンである。10歳の時に偶然見た『オールドボーイ』は、その後も定期的に見る『人生映画』だ。ストーリーの展開で音楽が感じられる偉大な傑作だ。ショスタコーヴィチの協奏曲が持つエネルギー、すさまじさ、叙情性をソウルで余すことなくすべて取り出して見せたい」

――若い年齢で演奏活動を始めた方であるが。

「運良く3つのコンクール出ただけで、すぐに演奏活動を始めることができた。2011年のチャイコフスキーコンクールではチョ・ソンジンと私が最も幼かった。去年の夏、スイスのヴェルビエフェスティバルで再会できてすごく嬉しかった。楽器は異なったが、同い年だったし、後で彼がパリに留学に来た。コンクールは実は負担が大きいが、私たちだけが17歳の少年だったので複雑に考えず、簡単に上位に入賞したような気がする」

――どのような演奏者になりたいか。

「具体的にどのようなオーケストラとか、指揮者とかと一緒にやりたいという目標はない。ただ今のように音楽を愛し、楽しみ、幸せを感じながら、音楽の喜びを加減なく大衆に伝えたい。そうやって続けていけば、音楽が私をどこかに連れて行ってくれるだろう」

4日午後8時、ソウル松坡区(ソンパグ)のロッテコンサートホール。3万~7万ウォン。

キム・ナヒ音楽評論家