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山清泛鶴里三層石塔が「77年ぶりに里帰り」

山清泛鶴里三層石塔が「77年ぶりに里帰り」

Posted November. 28, 2018 08:44,   

Updated November. 28, 2018 08:44

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山清泛鶴里(サンチョン・ボムハクリ)の三層石塔(国宝第105号)が故郷に戻ってくるまでは、77年という時間が必要だった。国立晋州(チンジュ)博物館は27日、屋外展示場で山清泛鶴里三層石塔を公開し、故郷への復帰を祝う点眼式を行った。常設展示室の改装工事が完了した30日から観覧できる。

9世紀の統一新羅時代に作られたものと推定されるこの石塔は、慶尚南道(キョンサンナムド)山清の鏡湖江(キョンホガン)が見渡せる屯鐵山(トゥンチョルサン)のすそ野に立っていた。しかし、朝鮮時代に入って廢寺址になり、石塔も崩れたので、日本植民地時代にはとめどなく渡り歩く運命を迎える。

不幸の始まりは1941年。大邱(テグ)の骨董品屋だった奧治助が、泛鶴里の住民をそそのかして、たった100円で石塔を購入した。当時の物価で米5俵に過ぎない安値で売れたのだ。分解された状態で晋州に移された後、鉄道で運ばれ、大邱に輸送された。大邱のとある工場敷地に隠されていたこの石塔は、その翌年、朝鮮総督府が不法搬出事実を認知後、回収して京城(ソウル)の総督府博物館に移送した。

光復(日本植民地からの独立)翌年だった1946年、米軍工兵隊の助けを借りて、景福宮(キョンボクグン)の中に建てられた。しかし、1994年に景福宮整備事業によって、再び17個の部材に解体されて23年間、国立中央博物館の収蔵庫の中で光を見ることができなかった。

国立晋州博物館は、地域を代表する石造文化財が収蔵庫の中に保管されて観覧が難しいことを残念に考えて、石塔の故郷から近い晋州への移管を要請した。結局、昨年2月、国立中央博物館は石塔の移転・展示を決定し、故郷に戻ってくることになった。

博物館は最近、石塔再建のための床掘り工事をはじめとして、原型のままに復元を完了した。特に日本植民地時代の石塔の輸送過程で消えた下台石を復元しながら、山清郡泛鶴里近くの正谷里(チョンゴクリ)で石塔の原石である閃長岩を見つけて、破壊された部分などの復元に使った。

泛鶴里三層石塔は、美術史的に典型的な統一新羅の様式を継承したという評価を受ける。特に慶尚南道地域の石塔の中では唯一、塔の外部に浮彫像がある。


柳原模 onemore@donga.com