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朝鮮王朝の滅亡から9年後に臨時政府が共和主義を受け入れた理由は?

朝鮮王朝の滅亡から9年後に臨時政府が共和主義を受け入れた理由は?

Posted November. 27, 2018 08:22,   

Updated November. 27, 2018 08:22

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朝鮮が国権を失ってからわずか9年後である1919年、大韓民国臨時政府が共和政を採用できた力は何だろうか。

ソウル大学国際大学院国際学研究所(ソウル冠岳区)は、「近代韓国と東アジアで共和・Republicの成立と進化」と題した学術大会を30日午後1時、国際大学院で開く。延世大学のイ・ギフン教授は発表文「植民地時代の共和談話の拡散」の中で、「共和主義思想は、3・1運動を機に急速に広がった」とし、「特に『民族代表』の登場は、主権が国民にあると前提して委任の合法性を表現したものだ」と明らかにした。

学術大会では、「米軍政の朝鮮臨時政府の憲法草案の中に現れた共和主義」(朴泰均ソウル学大教授)、「李承晩(イ・スンマン)政府時期の共和談話」(オ・ジェヨン成均館大学教授)など、計7本が発表される予定だ。今回の学術大会は、3・1独立運動と大韓民国臨時政府樹立100周年記念事業推進委員会が主管する。


趙鍾燁 jjj@donga.com