Go to contents

THE DONG-A ILBO Logo

歳月が流れても輝く…宝石のような「ジャズ・ディーバ」パク・ソンヨン

歳月が流れても輝く…宝石のような「ジャズ・ディーバ」パク・ソンヨン

Posted November. 26, 2018 08:55,   

Updated November. 26, 2018 08:55

한국어

70代半ばの「ディーバ」は格好良く入ってきた。車から降りて、知人に支えられて車椅子に座り、店のドアを通って舞台の上のマイクの前まで20メートル。止まることはなかった。レッドカーペットはない。

 

23日夕方、ソウル瑞草区(ソチョク)にあるジャズクラブ「ディーバヤヌス」。繁華街から1ブロック離れたここに韓国ジャズの女帝が来たことを知る人はほとんどいなかった。ディーバが室内に入ると、30人あまりの観客が一斉に入口の方を向き、喝采した。

「もう一人の新婦、もう一度の6月/もう一回ののどかなハネムーン~」

息つく暇もなく始まった1曲目の歌は、楽しいジャズ「Makin Whoopee」。恩平区(ウンピョンク)の療養院から2時間近くかけて駆け付けたディーバには控室も必要なかった。休むことなくすぐにマイクに吹き込んだ歌は、軽快なスイングリズムに軽やかに乗った。客席から嘆声が上がった。

韓国第1世代のジャズボーカル・ディーバ、パク・ソンヨンさん(75)に、この日は誕生日も相違なかった。彼女が新村(シンチョン)にクラブ「ヤヌス」をオープンして40年になる日。記念の舞台だった。彼女が着た赤紫色の金箔の華やかな衣装が際立った。「数十着あった舞台衣装はすべて捨てました。一番好きなものだけ残したんです。今日のような日に着ようと・・・。はっはっ」

20年前から腎臓透析を受けているパクさんは、3年前に入院をすることになった。クラブの経営を後輩のジャズ歌手に任せた。「私の手で後輩のための舞台を守りたかった。しかし私が体の具合が悪くて救急室に行ってから、これまで帰って来ることができないんです」

公演の後に会ったディーバは立派な舞台を披露したが、「練習できなくて観客に申し訳ない」と何度も言っていた。療養院では6人部屋を使うので、音楽を聞くことができる環境ではない。最後の曲は「My Way」。最後の歌詞「I did it my way~」をディーバは歌うというよりも吐き出した。「いつもこれが最後の公演だと思って歌います。私の人生を考えながら」

彼女は、新村でヤヌスをオープンした1978年11月23日を昨日のことのように記憶する。「注文した椅子とテーブルが到着せず、客が立っていました。愕然としていた時、クラブの名前をつけてくれた英文学者のムン・イルヨン先生が私の背をたたいて『大丈夫、大丈夫』と言ってくれたことも昨日のことのようです」

国内の第1世代のジャズ演奏者に「ヤヌス」は聖地だった。「定期公演をするジャズクラブはここhs初めてだった。外で催涙弾が飛び交っていることも知らず練習に没頭しました」

しかし「ヤヌス」はいつも赤字を免れなかった。新村、大学路(テハンロ)、清潭洞(チョンダムドン)を経てここに来た。野外ジャズフェスディバルに数万の人が集まっても、韓国ジャズ演奏者の「聖地」には1日5~7人の観客が全て。彼女は、赤字の店を後輩に譲ったことがとても気にかかる。「しかし『ヤヌス』の終わりを想像したことは一度もありません」。後悔はないか。「はい。後悔はありません。私は結婚もしませんでした。それも後悔しません。何の後悔もありません。感謝だけです」。何に感謝するのか。「ヤヌスです」。

同日、ジャズ演奏者たちの祝賀舞台は深夜0まで続いた。第1世代のジャズピアニスト、シン・グァンウンさんは、「およそ五百年」をダイナミックなジャズで編曲して聞かせた。誰かには聖地だが、そのような理由を知らなくてもいい。ムードのあるジャズバー、ヤヌスは今日もドアを開ける。02-523-3934


イム・ヒユン記者 imi@donga.com