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益山雙陵の人骨は百済武王が有力

Posted July. 19, 2018 08:15,   

Updated July. 19, 2018 08:15

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今年4月に全羅北道益山市(チョンラブクド・イクサンシ)の雙陵(史跡第87号)の大王陵で発見された人骨の正体が、薯童謡の主人公である百済武王(ムワン、?~641)であることを裏付ける研究結果が公開された。

国立扶余(プヨ)文化財研究所は18日、ソウル鍾路区(チョンノグ)の国立故宮博物館で記者懇談会を開き、「益山雙陵の大王陵の内部から出てきた人骨箱の102個の骨を分析した」とし、「人骨の主人公は50代以上の60~70代の高齢者であり、身長は161~170.1センチ、死亡時点は620~659年と算出された」と明らかにした。

大王陵と小王陵で構成された益山雙陵は、百済の武王と彼の妻である善花(ソンファ)姫がそれぞれ埋葬されたと知られている横穴式石室墓である。しかし、2016年、国立全州(チョンジュ)博物館が、日本植民地時代に大王陵で収拾された歯を分析した結果、20~40歳の女性だと明らかにし、被葬者の正体をめぐる論争が高まった。

そのため、昨年、文化財庁と円光(ウォングァン)大学馬韓百済文化研究所などが、1917年の朝鮮総督府の発掘以来、100年ぶりに雙陵の再発掘を進めて、大王陵の内部棺臺(棺を載せて置く広い台)から人骨102個が入れられた箱を発見した。

以降、国立文化財研究所とカトリック大学医学部応用解剖研究所などが参加した研究チームが、肘の骨の角度と距骨(足首の骨の一つ)の大きさなどを調査した結果、男性である確率が高いという結果が出た。国立扶余文化財研究所のイ・サンジュン所長は、「被葬者の身長は161~170.1センチと確認されたが、朝鮮時代の成人男性の平均身長が161.1センチであることを考慮すれば、割合背の高い方だ」とし、「『三国史記』では武王について『風采が素晴らしく、志が豪放で、気性が傑出した』と表現したのと合致している」と説明した。

また、研究所は、武王が大王陵被葬者の死亡推定時点である620~659年に世を去った唯一の百済王ということでも、雙陵の主人公が武王である可能性が高いと明らかにした。


柳原模 onemore@donga.com