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李鐘一が作った初の地下新聞、「朝鮮独立新聞」

李鐘一が作った初の地下新聞、「朝鮮独立新聞」

Posted June. 02, 2018 09:05,   

Updated June. 02, 2018 09:05

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1919年3月1日、京城の独立運動の現場には、独立宣言書とともにさらなる印刷物が登場した。一般の新聞の号外版の大きさで「朝鮮独立新聞」という表題の新聞だった。1910年の日本による植民地支配後、総督府の許可を受けなかった初の地下新聞であり民族言論だった。

「朝鮮独立新聞」の創刊を主導したのは李鐘一(イ・ジョンイル)だった。「帝国新聞」を経営したジャーナリストだった彼は、普成社で独立宣言書を印刷する一方、密かに「朝鮮独立新聞」1万部を発行した。自身は33人の民族代表として逮捕され収監されるため、普成商業専門学校の校長、尹益善(ユン・イクソン)を新聞社の社長にした。(尹益善に対する第1回警察尋問調書)

「朝鮮建国4252年3月1日」付で創刊された同紙は、独立宣言の趣旨を全民族に伝え、3・1運動の展開状況を迅速に報道するなど、独立運動を全国に広める目的で配られた。同紙は3月1日当日、塔洞(タプトン)公園で約4千部配られ、天道教の青年たちや学校の学生たちを通じて一般家庭にも配られた。第2号(3月2日付)では、「近日中に仮政府(臨時政府)を組織して仮大統領(臨時大統領)選挙をする」という驚くべき内容も伝えた。

同紙は主に拘禁された民族代表の情報、全国で起きた独立運動の状況、運動を支持する海外の便り、日帝の不条理などを掲載した。同紙は日帝の弾圧の中でも、同年4月末に27号が発刊される底力を見せた。5月から8月の間にも、発行人を明らかにせず不定期的に10号が追加発行された。

初の民族言論と言える「朝鮮独立新聞」の出現を機に、国内外のあちこちで地下新聞が登場した。同年、中国・上海では李光洙(イ・グァンス)が社長を務めて8月21日に「独立新聞」を創刊し、10月28日には申采浩(シン・チェホ)が主導した「新大韓」が創刊された。これらの新聞も国内に流入した。総督府機関紙の役割をした「毎日新報」のほかに一切の新聞の発行を禁じてきた日帝は、地下新聞を押さえ込もうとしたが、すぐに限界に直面した。結局、総督府はいわゆる文化政治を標ぼうして新聞の発行を許可するほかなかった。3・1運動翌年の1920年4月1日、「東亜日報」が創刊された背景だ。


アン・ヨンベ記者 ojong@donga.com