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ドイツの修道院から戻ってきた朝鮮歩兵の鎧、100年ぶりに故国に

ドイツの修道院から戻ってきた朝鮮歩兵の鎧、100年ぶりに故国に

Posted May. 31, 2018 08:56,   

Updated May. 31, 2018 08:56

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朝鮮後期の歩兵が戦場で着ていた鎧(写真)が100年ぶりに祖国に戻った。

国外所在文化財財団は、18世紀後半に作られたと推定される朝鮮の鎧である綿皮甲を、ドイツ・バイエルンミュンヘン近くのザンクト・オッティーリェン修道院の宣教博物館から今年1月、寄贈を受けたと、30日に明らかにした。分析と保存処理を経て、同日午前、ソウル鍾路区(チョンノグ)にある国立故宮博物館で鎧を公開した。

今回帰ってきた鎧がドイツに出た時点は、正確には明らかにされなかったが、ザンクト・オッティーリェン修道院の神父たちが韓国で活発に活動していた1910、20年代と推定されると、財団側は説明した。

長さが101センチ、肩の幅が99センチのこの鎧の内側には、持主の名前と推定される「李○瑞」と書かれた墨書がある。鎧の表地は綿で作られており、生まれ変わりと再生の意味を込めている蓮花唐草模様が鮮明に残っている。鎧の内側には、豚の皮で作られた3枚重ねの装甲194枚がぎっしりと埋め込まれている。

チヤ・ミエ国外所在文化財財団チーム長は、「1808年に編纂された軍政関連書籍である萬機要覽で、『皮甲2892着を歩兵軍などに配った』という記録があり、朝鮮後期の綿皮甲と推定している」とし、「現存する朝鮮時代の鎧が12点に過ぎないことから、非常に意味のある資料だ」と説明した。

綿皮甲を寄贈したザンクト・オッティーリェン修道院の宣教博物館には、韓国遺物1700点余りが所蔵されている。修道院は2005年、慶尚北道漆谷(キョンサンブクド・チルゴク)にある倭館修道院に「謙齋鄭敾畵帖」を永久貸出したことをはじめ、今年1月は、国内初養蜂教材として知られている「養蜂要誌」を永久貸出の形で返還した経緯もある。今回の返還は、国外所在文化財財団が修道院宣教博物館の遺物を調査した後、綿皮甲を保存処理したいという意思を伝えると、快く寄贈を決定したことで実現された。


柳原模 onemore@donga.com