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「1500年ぶりに確認した百済大通寺址の保存を」

「1500年ぶりに確認した百済大通寺址の保存を」

Posted May. 04, 2018 09:14,   

Updated May. 04, 2018 09:14

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「韓半島で寺院の名前、建設年代、場所を正確に知ることのできる最も古い寺院である『大通寺(テトンサ)』を保存せよ」

百済協会をはじめとする考古学・歴史学関連の10学会が、大通寺址を保存すべきだと同じ声を出している。これらの学会は、ソウル鍾路区(チョンノグ)にある興士団(フンサダン)本部で3日記者会見を開き、「1500年ぶりに劇的に現れた百済大通寺の完全な調査と保存を促す声明」を発表して、文化財庁と忠清南道公州市(チュンチョンナムド・コンジュシ)などの関連機関に寺の跡の保存のための対策を要求した。

大通寺がその実体を現したのは、ハンオル文化遺産研究院が今年1月から行ってきた忠南公州市班竹洞(パンジュクドン)にある韓屋住宅敷地の発掘調査現場においてだ。調査の中で「通」という字の一部が押された瓦が発見されたのだ。たとえ「大」の文字は壊れていたが、日本植民地時代の調査当時に発見され、現在、国立公州博物館で所蔵されている「大通」瓦と同じ形だった。大通は、中国の梁武帝が527年から529年の間に使用した年号で、大通寺址は百済聖王(在位523~554)が建てたと伝えられる。

扶餘(プヨ)の王興寺(ワンフンサ)や慶州(キョンジュ)の皇龍寺(ファンリョンサ)など、国家寺院の機能を果たした大型寺院だけで見ることのできる「鴟尾」(瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種)と塑造仏像(泥でできた仏像)などが出土して、学界から高い関心が集まった。百済史研究の権威者である盧重國(ノ・ジュングク)啓明(ケミョン)大学名誉教授は、「1500年ぶりに大通寺の実体が明らかになった画期的な発見だ」とし、「大通寺址の研究を通じて百済の中興を率いた聖王時期の仏教思想と当時の首都である熊津(ウンジン=公州)の都市構造を確認できる貴重な機会になるだろう」と説明した。

問題は、現在発掘調査が行われている地域に、大規模な韓屋が建設される予定であること。また、大通寺址と推定される地域のほとんどに民間住宅が入っており、大規模な調査が不可能な構造となっている。そのため学界では、文化財庁と地方自治体などの関係機関が史跡の指定と土地購入などに積極的に乗り出すべきだと主張している。權五榮(クォン・オヨン)百済学会長(ソウル大学国史学科教授)は、「今回発掘許可を受けた地域は204平方メートルだが、安全地帯などを除けば、実際の発掘面積は100平方メートルに過ぎず、大通寺推定敷地の1%も調査できなかった」とし、「このような小規模な発掘では、大通寺の全容を明らかにするのは不可能だ」と語った。

文化財庁は先月、保存措置評価団を立ち上げて、「遺跡保存の必要性がある」という結論を下したが、具体的な計画はまだまとめていない。文化財庁の関係者は、「今月中に開かれる文化財委員会の審議で関連措置を議論する計画だ」とし、「文化財保存区域に指定されれば、土地仕入れなどに乗り出すことができる」と話した。


柳原模 onemore@donga.com