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「ノルウェイの森」を生み春樹の世界を切り開いた夫婦の放浪

「ノルウェイの森」を生み春樹の世界を切り開いた夫婦の放浪

Posted April. 16, 2018 07:37,   

Updated April. 16, 2018 07:37

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地図と動物園、米国・ロシアの小説と音楽にすっかりはまった内向きの少年がいた。大学の教室よりもカフェや映画館、レコード店をより頻繁に通った村上春樹(69)は、7年ぶりにようやく大学を卒業した。米文化と旅行が好きな彼の論文のタイトルは、「米国映画での旅の思想」だった。

22歳の時に早稲田大学同門だった陽子と結婚した彼は、「ピーターキャット」というジャズカフェを開いて、早目に生活戦線に飛び込んだ。疲れた日常に耐えながら書いた最初の小説「風の歌を聞け」(1979年)で新人賞を受賞し、小説家としてデビューする。専業作家になって書いた「羊をめぐる冒険」(1982年)、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(1985年)は、大衆から大きな愛を受けた。しかし、日本文壇では酷評が殺到した。「バター臭い」「ビーチボーイズやマクドナルドなどの米国ブランドを乱発する」とし、「米国ポップカルチャーの崇拝者」と攻撃した。

誤解と批判を避けて、春樹夫婦は1986年に世界を放浪し始めた。英国、ギリシャ、イタリアでビートルズの音楽を聴きながら「ノルウェイの森」(1987年)を執筆した。「喪失の時代」というタイトルで国内に翻訳された「純度100%の恋愛小説」は、空虚な世界の青春の心を虜にした。激動の転換期を経験した1990年代初め、東欧やロシア、ベルリンの壁が崩れたドイツで春樹の小説は大ブームが起きた。

引っ越しやマラソン、中古レコードの収集が趣味の彼は、40代前半、米ボストンで5年間「常駐の旅行者」として過ごしながら幸せな全盛期を享受する。アイビーリーグ大学の知識人たちと議論し、チャールズ川沿いを走りながら小説と翻訳書を次々と出した。「ニューヨーカー」に短編小説が載ったことで、米国で正式に小説家としてデビューする夢も果たす。

彼は「ソファクヘン」(小さいが確実な幸せ)の元祖だ。ビール、ワイン、ウイスキーと一緒にナムル、サラダ、麺類、シーフード料理を楽しむグルメでもある。好きな旅行先は人口が少なく、静かで平和なところ。アイスランドやフィンランドなどの北欧、アイルランド、スコットランドのウイスキー産地、仏教国ラオスのルアンパバーン、米西部のポートランドとカリフォルニア州ナパバレーのワイン産地が彼の幸せの密集地域だ。

「自殺よりは引っ越し、セックスよりは旅行」を目指す彼は、誠実な作家生活を40年近くも続けてきた。セックスシーンさえ淡泊に描写して女性ファンの多い「春樹ワールド」には、父親がいない。実際、彼の父親は教師として引退後、僧侶として修業し、生を終えた。婚姻届を出して妻の実家に入った彼は、男女平等的夫婦生活を続けてきた。生涯パーマや化粧を一度もしたことがないという同い年の妻は、純粋な少女スタイルだ。「熱帯の島で果物を取って食べながら、平和に暮らすことが夢」という彼女は、春樹の小説を最初に読む鋭い批評家であり、彼の印税収入を含めてすべてを管理する有能なマネージャーだ。春樹の人生の旅のパートナー、陽子は「地図をうまく描く女性を見ると、すぐに恋に陥るような気がする」という彼の理想ではないか。

地理学者・京仁(キョンイン)教育大学教授