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光化門の扁額を黒地に金箔文字に変える

Posted January. 31, 2018 09:39,   

Updated January. 31, 2018 09:39

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文化財庁が遅れて光化門(クァンファムン)の扁額を元の色である「黒地に金文字」に戻すと、30日明らかにした。これにより、文化財庁はこれまで複数の文化財研究者と市民団体の意見を無視して間違った決定にこだわっていた過程を振り返って見なければならないという指摘が出ている。

文化財庁は同日、ソウル中区(チュング)にある韓国の家で懇談会を開き、「実験用扁額を作って昔の写真のようにガラス乾板で撮影する科学的分析と実験を1年間行ってきた」とし、「光化門の扁額が『黒地に金箔文字』であることが明らかになった」とコメントした。

文化財庁は、過去10数年間、メディアや市民団体などで繰り返して提起したずさんな考証疑惑を事実上無視してきた。

扁額色の問題提起は、13年前の2005年にさかのぼる。当時、兪弘濬(ユ・ホンジュン)文化財庁長は、朝鮮末期の訓練隊長である任泰瑛(イム・テヨン)の扁額文字を復元したと、国立中央博物館が所蔵した1916年の光化門写真を公開した。この写真は、今かかっている扁額のように地色が明るく見える。

しかし、「居場所を離れた文化財に関する調査報告書」と題した本などを記した文化財研究者であるイ・スンウ氏は、「『朝鮮古蹟圖譜』などの資料よりもはるかに遠くから撮影した写真にも、文字の跡や色がはっきりしていて納得し難い」と疑惑を提起した。これに対して文化財庁は、「ガラス原版の写真をデジタル原色分解を通じて確認したもので、扁額と字の色は現時点で確認できない事項だ」と答えた。デジタルで修正された写真であり、元の色は分からないことを認めたのだ。

それでも、文化財庁はきちんと考証せず、2010年8月、光化門の扁額を現在のように「白地に黒文字」で復元した。同年7月に開かれた扁額復元小委員会は、その根拠も明らかにしなかった。

これに対して、「景福宮(キョンボクグン)などの宮廷の全角や城郭城門の扁額はそのほとんどが黒地だ」と主張しながら、復元が間違っていた」という専門家たちの指摘が続いた。東亜(トンア)日報も2011年11月の記事で、「『徹底した考証と悩みもせず扁額色を決めた」という指摘が出ている。…専門家らはおおむね『黒地に白または金色文字』でなければならないという意見を出した」と報じた。

文化財庁は、2012年に二度にわたって扁額の色検討諮問会議を開いたが、既存の決定を固執した。同年2月の1回目諮問会議から 「(文字は)当初は金箔だったが、風化作用によって黒く現れた」という少数意見が出たが無視された。同年10月の2回目の諮問会議では 「王の生活空間外なので、金箔をしない」と、根拠の足りない理由を取り上げた。

マスコミと市民団体の指摘が続くと、文化財庁は2014年6月、3回目の諮問会議を開いた。当時、写真分野の専門家が「地が白と判断できない」という意見を出したが、文化財庁はこの時も写真で扁額色を検証する実験に乗り出さなかった。

文化財庁が扁額色を原点から見直すことにしたのは、「文化財の元の場所探し」のへムン(本名はキム・ヨンジュン)代表が米スミソニアン博物館の「国家人類学資料保管所」で1893年ごろに撮影された光化門の写真を見つけて、2016年2月に公開してからだ。写真の中の扁額は、暗い背景に明るい文字がはっきりしている。文化財庁は遅れて検証実験に乗り出した理由を尋ねられると、「スミソニアン写真が現れるまでは、考証資料がなかったからだ」と主張した。しかし、扁額色が暗く、文字が明るかったことを示唆している資料は、それ以前も少なくなかった。

文化財庁は、現代の顔料と伝統顔料で実験用扁額を塗って、長所と短所を比較した後、来年上半期に黒地に金箔文字で、実際の扁額を丹靑して設置する計画だと明らかにした。


趙鍾燁 jjj@donga.com