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朝鮮の「ブービートラップ」、全羅兵営城の垓子周辺で初めて発見

朝鮮の「ブービートラップ」、全羅兵営城の垓子周辺で初めて発見

Posted November. 16, 2017 09:12,   

Updated November. 16, 2017 09:13

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城郭にしかけられた朝鮮時代の「人馬殺傷用ブービートラップ」が初めて発見された。底に竹槍を植えて茂みに見せかけたブービートラップが発見されたのは、韓国内遺跡では初めて。

ハンウル文化財研究院は15日、全羅南道康津郡(チョンラナムド・カンジングン)の全羅兵営城(史跡第397号)発掘現場で、城壁南側の垓子(侵入を防ぐために城の周辺に堀られた池)と64の罠の遺構が確認されたと明らかにした。

罠は、南門を取り囲む垓子の外で発見されたが、直径3.5~4.9メートルの丸いくぼみが約2.5メートルの深さで掘られていた。64の罠は、垓子と6~8メートルの距離を置いて2~4列に並んで配置されていた。

罠の底には先端を尖らせた竹槍が密に植えられていた。偽装用に罠の上を覆ったものと見られる五葉松の枝や草が発見された。

 

同研究院のイ・ホンウ発掘チーム長は、「罠の直径が最大5メートルにのぼることから、人だけでなく馬も殺傷が可能だっただろう」とし、「垓子の防衛機能を補完するために後に作ったものと見える」と指摘した。実際に垓子の中では朝鮮初期の陶磁器がいくつか発見されたが、罠からはこれより時期が後の磁器のかけらが発見された。

高麗末の1388年、現在の光州(クァンジュ)に建てられた全羅兵営は、外敵防御のために1417年に康津に移された。全羅兵営は朝鮮時代、全羅道と済州島(チェジュド)に配置された陸軍を指揮する地方司令部の役割を果たした。今年は、康津の全羅兵営城が築城されて600年になる年だ。

今回の発掘では、南門側の垓子付近から、城を出入りする時に使われた橋の跡と見える木柱も確認された。

朝鮮時代、罠について言及した記録としては、茶山(タサン)・丁若鏞(チョン・ヤクヨン)が書いた民堡議が代表的だ。茶山は、民堡議で敵の人馬を殺傷するために先を尖らせた竹を植えた罠である陥馬坑を取り上げた。



金相雲 sukim@donga.com