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「パラリンピック報道」、「傷害克服」だけを浮き彫りに

「パラリンピック報道」、「傷害克服」だけを浮き彫りに

Posted April. 20, 2018 08:15,   

Updated April. 20, 2018 08:15

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今年初めに1988年以降30年ぶりに韓国でパラリンピックが開催された。いつにも増して障がい者アスリート関連の記事が溢れた。しかし、アスリートたちの活躍を伝えるメディアの表現は、正しく、自然だったのだろうか。パラリンピック期間中、10大日刊紙が報じた全ての障がい者アスリート関連記事をモニタリングしたキム・ミンジョン障がい者政策モニタリングセンター研究員は、改善の必要がある内容を5つの類型でまとめた。

第一は、障がい者を「人間勝利のドラマ」もしくは「感動の源」として描き、過度に誇張するケースだ。右腕がない先天性障がい者アスリートに「腕の代わりに翼がある」と言った表現を使う場合だ。障がい者アスリートの活躍を過度に誇張するのは、そうでない大多数の障がい者に、成功への社会的プレッシャーを与えることになりかねないという指摘だ。また、障がい者アスリートの活躍を伝える中で、「彼らの前で苦難や挫折を語るのが恥ずかしい」と言った表現も見られたが、これは障がい者の努力を浮き彫りにするよりは障がい者に比べて健常者の希望や慰めにしようとしているという面で、不適切だったという分析だ。

第二に、「小児麻痺を克服して」のように「障がい克服」を強調するケースだ。障がいを克服すべき不幸な状態や非正常な状態として取り扱うよりは、障がいを多様性の一面として受け止める雰囲気が必要で、「克服(overcoming)」すべきものではなく、普通に「ある(with)」ものとして認識しなければならないということだ。

第三に、損傷を詳しく描いたり、障がいと疾病を同一視するケースだ。「脳電症(癲癇)を患っている」「脳性まひを患っている」のように障がい者と患者を区別せず、障がいを「患っている」と表現するのも避けるべき使い方に挙げられた。また身体損傷の履歴を過度に強調し、いざ肝心のアスリート個人の実績や努力を軽く扱うケースも多かった。

第四に、障がい者を無力感や不幸、絶望を基盤に描いていることだ。「死んだ方が増しだと重い失意に陥り」といった表現は障がい者に対する拒否感や恐怖を助長することになりかねないという指摘だ。第五に、障がい者家族を罪人もしくは英雄として描く場合だ。これは障がい者を家族の手助けや犠牲がなければならない存在として認識させる可能性があるということだ。

キム研究員は、「五輪の金メダリストのように、彼らの実績そのものを強調するよりは障がい者のメダルは涙や苦痛を最大に浮き彫りにする。このようにパラアスリートの人間勝利のドラマや感動物語として描くのは、人々に障がい者を希望と勇気を与える対象としてみることになる。障がい者を主体ではなく客体にしてしまう」と指摘した。

ユン・サムホ障がい者政策モニタリングセンター所長も、「全てのスポーツは、自ら挑戦することだ。とりわけ障がい者だけは他人に勇気を与えるためにやっているかのように過度に感情移入した記事が多い。これは善意の偏見だ」と話した。「障がい」自体ではなく「障がいを持つ人間」として取り上げるべきだという。


任寶美 bom@donga.com