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パラ・スノーボードクロスLL1金メダルのハッカビーさん

パラ・スノーボードクロスLL1金メダルのハッカビーさん

Posted March. 14, 2018 07:48,   

Updated March. 14, 2018 07:48

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12日、江原道旌善(カンウォンド・チョンソン)に位置する平昌(ピョンチャン)パラリンピック・スノーボードクロス競技場のスタンディング観客席の裏では頬にパンダビのステッカーを貼った一人の子供がスノーボードを乗っていた。母のブレンナ・ハッカビー(22=米国)の仕事場について来た娘のリラちゃんだった。リラちゃんと遊んであげていた祖母は、「子供がママと雑誌に出ているよ」と言ってバックから雑誌を出して見せてくれた。5月には2歳になるリラちゃんはママが出場する大会についてきて生後8ヵ月で初めてスノーボードに乗り、今は一人でも結構上手にスノーボードを楽しんでいる。

この日、初出場のパラリンピックでスノーボードクロスLL1(重傷の足の障害)金メダルを獲得したハッカビー選手は、リラちゃんを抱いたまま「引き続き挑戦しながらリラちゃんにも『願うことの全ては達成できる』ことを見せてあげたい」と笑みを浮かべた。

8年前は想像もできなかった笑顔だった。2010年11月18日、ハッカビーさんは数時間を泣いていた。14歳でがんと診断されてから9ヵ月間の抗がん治療を受けたが、むしろ右脚の腫瘍は取り留めなく拡大すると、医師は「より良い人生」のためには脚を切断しなければならないと言った。体操選手を夢見た10代の娘は脚の切断がより良い人生をもたらすという言葉を信用できなかった。アスリートにとって両脚は欠かせないと思った。

片脚で目が覚めたハッカビーさんは、しばらく笑えなかった。だが、人生初の義足を受け取ったころは、「これを見つけたら私に返してください」と書いて晴れた笑みを浮かべられるほど変わった。ハッカビーさんは、人生は向き合った状況そのものではなく、どう状況を受け止めるのかにかかっていると考える。今は、両脚で生きていたときのことが懐かしくないと言う。

「生きるのに両脚があった方が楽だろうけど、そのときに帰りたくはない。そうなれば、これまで出会った素敵な人たちに会えなかっただろうし、世界を歩き回る機会もなかっただろうし、こうして幸せにいれなかっただろう」

16歳のときがんセンターのリハビリプログラムでユタ州パークシティにスキー旅行をした時初めてスノーボードを乗った。母はスノーボードでパラリンピックに挑戦してみたいとする娘のために、仕事をユタ州で見つけて引っ越した。そうしてパラリンピアンへの夢をみてから5年ぶりにハッカビーさんは両親が見守る前で金メダルを首にかけた。2016年に出産し、休止期があったが母になったハッカビーさんはさらに強いスノーボーダーになった。

旌善で靡いたハッカビーさんの紫色の髪は、色を揃えて紫色の義足とともに大きな関心を集めた。平昌パラリンピックに合わせてチーム同僚のマイク・シュルツが作った「平昌ブレンナ・ハッカビー限定版」の義足なのだ。日ごろから常に義足にさらけ出して生活しているハッカビーさんは、「紫色は私の大好きな色だ。本当に素敵だと思わないですか」と笑った。「正直以前は義足を露出しなかった。人々がどう受け止めるかが怖かったからだ。しかし娘を産んでから、自分の体がどれだけ大事なものかに気づいた。娘は自分の体を本気で愛するようにしてくれた」とも語った。

先月は、パラリンピック選手では初めてスポーツマガジンのスポーツイラストレイテッド(SI)に水着モデルの写真が掲載された。モデルに抜擢された話を聞いては自分の部屋で飛び上がった。

「障がい者がセクシーな水着を着てポーズをとるのは、滅多にない機会だ。障がい者に対する偏見を変えたかった。ほかの女性たちがこれを見て自分の体がどういう状態であれ、十分に強くセクシーであることに気づいてほしい」

ハッカビーさんは16日、バンクドスラロムで今大会2個目の金メダルに挑戦する。


任寶美 bom@donga.com