Go to contents

不毛の地で奇跡を生んだボブスレー代表が書き下ろすおとぎ話、その結末は

不毛の地で奇跡を生んだボブスレー代表が書き下ろすおとぎ話、その結末は

Posted November. 22, 2017 08:09,   

Updated November. 22, 2017 08:52

한국어

「7年を待った」

これまで韓国がボブスレーが歩んできた道を回顧するだけでも一本のおとぎ話が書ける。主役はイ・ヨン総監督とウォン・ユンジョン(パイロット)、ソ・ヨンウ(ブレーキマン)。ソリ競技の不毛の地だった韓国でアジア初のワールドカップ(W杯)金メダルという奇跡を起こした主役たち。現在W杯シーズン(11月9日~2018年1月22日)に参戦しながら平昌(ピョンチャン)冬季五輪で美しい結末を迎えるために励んでいる。

国内では、同大会のW杯第1戦と第2戦の成績(それぞれ10位と13位)が期待に及ばないと、懸念の声が上がっている。この危機を乗り越えられる底力が、彼らには残っているのだろうか。先月21日、仁川(インチョン)国際空港で出国の準備をしていた主役たちから聞き出した「過去の危機克服の経験」話から先を予測してみる。

●イ・ヨン総監督の秘密記録

イ監督の右手の人差し指にはペンだこができていた。競技場で盗み聞きした他国チームのコーチの指示内容を密かにメモしているうちにできたものだ。アドバイスをしてもらう人もいなかった7年前の新任監督時代から、イ監督はそうして秘密の記録を書き続けた。それには事情があった。

「(ソリが)転覆すると周辺から『なんでここまで来て邪魔するんだ』と不満をこぼす他国選手たちの声が聞こえたんです。そのとき、私と選手たちはうなだれたままトラックを抜け出していました」

2010年の冬に初めて監督に就任して出場したアメリカンカップで、当時初心者の選手たちは何度も転覆事故に遭った。ケガをした選手を見るのもつらかったが、先のことを考えると途方に暮れた。

「経験がないものだから走行法にしても、スタート法にしても一から体で覚えていくしかなかったんです。コースの分析も一緒です。近道を知らないから成長が遅いのは仕方なかったんです」

そうして、他チームのノウハウを盗み聞きしながらメモしたノートだけが30冊を超える。「最初のコースでは右に詰めて」「姿勢をもっと低くして走れ」など。国際大会に参加するたびに、イ監督は選手控え室の周辺をぶらついた。競技場で他チームのコーチが無線機で会話する声にも耳を傾けた。韓国ボブスレーの基盤を固めた参考書は、そうして生まれた。

2014年1月に米国のレークプラシッドで開催されたアメリカンカップ第7戦のときだった。4年前に他チームに蔑視され嘲弄された、あの大会だ。イ監督が念入りに要請し続けた結果、初めて借りたソリではなく代表チーム専用の新しいソリに乗ってレースを行った。そして奇跡が起きた。アジア勢では初めて、同大会2人乗り(ウォン・ユンジョン、ソ・ヨンウ)で金メダルを獲得したのだ。その後、2015~2016シーズンのW杯ランキング1位になるまで、多くのことが変わった。

「何度も成長痛を経験しました。もう何も怖くないです。残ったのは一つだけです。今大会(W杯)は、その日に向けた助走に過ぎません。本番は来年の平昌ですから」

●ウォン・ユンジョンとソ・ヨンウのトラウマ

「こういうことを言うとユンジョンさんは嫌な思いをすると思うけど、…」

勢いで始めたボブスレーは一筋縄では行かなかった。2010年の冬の米国合宿のときだった。ソ・ヨンウが、パイロットのウォン・ユンジョンと組んで初めてソリを乗り始めた頃だ。当時、彼が乗ったソリは、毎回転倒しがちだった。体にできた傷が一つ二つ増えてから、不安感が募るようになった。

「転倒すると肩が氷面をこすりながら滑り、焼けるように痛いんです。それに、自分(ブレーキマン)は頭を下げているから前が見えないんです。ある瞬間転倒してソリが滑り落ちたんだけど…。その後気を失って救急室に運ばれたこともあるんです」

ソリの走行に全責任を負うパイロットのウォン・ユンジョンが感じるプレッシャーは半端じゃなかった。ソ・ヨンウと同様、大学時代まで陸上をしていたため、運動神経だけは誰にも負けないと自負していた。「10回滑ると7、8回は転倒しました。仲間たちに済まない気持ちでいっぱいでした。『こんなにもできない種目ってあるのか』と絶望感も感じましたね」

二人は、心理的に完全に崩れそうになった頃、むしろ心を鬼にして引き下がらなかった。ウォン・ユンジョンは、他国選手のレース映像を入念に分析しながら、会場のコース別の特徴を把握した。そうしているうちに「世界の壁」が改めて高く見えたという。「(彼らのレースを見てからは)比べ物にならないほど、戦えそうにもないと思えるほどの差が見えたのです。しかし、将来を見据えて毎年、できることをやってきました」。

ソ・ヨンウは五輪出場のその日だけを考えながら気持ちを引き締めた。借りて乗ったソリで苦戦するときも、あざができた傷跡に一人で薬を塗りながらも頭の中では、平昌で滑走する自分の姿を思い浮かべた。たまたま耐え難いほどつらいときは、イ監督にアドナイスを求め、「ここでつぶれるわけにはいかない」と根気を鍛えた。そうして二人は7年あまりの間、倒れては起上がるのを繰り返しながら、韓国ソリの歴史を書き下ろしてきた。

二人は25日にカナダのフィスラーで開催されるW杯第3戦を控えている。1年前にコーチの故メルコム・ロイド氏の妻からメダルを手渡されて、初の金メダルを獲得した場所だ。そのとき受け取ったメダルにはウォン・ユンジョントソ・ヨンウが夢見るおとぎ話の結末が書かれている。

「平昌の金メダルに向かって前に進め」



金在亨 monami@donga.com