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朴智星、大韓サッカー協会のユース戦略本部長に内定

朴智星、大韓サッカー協会のユース戦略本部長に内定

Posted November. 09, 2017 09:18,   

Updated November. 09, 2017 09:25

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2002年韓日ワールドカップ(W杯)の英雄、朴智星(パク・チソン=36)が自ら目指してきたサッカー行政家としての第一歩を踏み出す。

大韓サッカー協会は8日、新設されるユース戦略本部長に朴氏を内定したと発表した。現在英国ロンドンに滞在している朴氏は今月末に帰国し、具体的な業務や人員の構成などについて協会と協議する予定だ。協会の事務総長に内定したチョン・ハジン氏(47)は、「鄭夢奎(チョン。モンギュ)会長がずいぶん前から韓国サッカーのレジェンドである朴智星氏を協会で活躍してもらいたいと考えてきた。今年7月、朴氏が国際サッカー連盟(FIFA)のマスターコースを終えた時から本格的に本人の意向を打診してきた。豊富な経験をもとに、ユースサッカーを発展させてくれる最高の適任者だ」と話した。

朴氏は、プレミアリーグ(EPL)に進出した最初の韓国人だ。2005年にマンチェスター・ユナイテッドに入団し134試合で19得点を記録した。弛まず中盤を駆け回り「酸素ボンベー」という異名を得た。国家代表としての活躍も目覚しい。2000年4月5日、ラオスとのアジアカップ1次予選で国際Aマッチデビューを果たし、2011年1月26日の日本とのアジアカップ準決勝でAマッチ100試合出場を達成した。韓国人選手では8番目に「センチュリークラブ」に加入した朴氏は、それから6日後に「後輩たちに道を譲りたい」として代表引退を宣言した。

2014年に選手生活を完全に終えた朴氏は昨年9月、英国レスターにあるド・モンフォール大学でFIFAマスターコースに入り、今年7月に卒業した。当時、朴氏は「欧州で積んだ経験をアジアサッカーの発展のために生かしたい。タイミングが合えば、KリーグやJリーグのクラブはもちろん、アジアサッカー連盟(AFC)、大韓サッカー協会で働くことも可能だろう」と話した。

引退後、英国に滞在する間、朴智星は自ら設立したJファウンデーションを通じて国際青少年大会を毎年開催するなど、国内のユースサッカーに大きな関心を示してきた。今年8月に江原道平昌(カンウォンド・ピョンチャン)で12歳以下の国際大会を開催したときも、「サッカーの根幹は、結局はジュニアユース世代にかかっている。韓国サッカーがさらなる発展を遂げるよう幼少年たちに多様な機会を提供することが重要だ」と強調した。指導者ではなく、サッカー行政家を目指してきた朴智星は、最近までも「欧州に長く滞在しながら経験を積みたい」と話した。しかし、自ら目指してきた行政家としての役割が与えられている上、危機に瀕している協会に力を貸すために帰国を決心したと見られる。



李承鍵 why@donga.com