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「私の言うことを逆らったが、いつも息子は正しかった」 父が語る国民打者・李承燁

「私の言うことを逆らったが、いつも息子は正しかった」 父が語る国民打者・李承燁

Posted September. 30, 2017 11:27,   

Updated September. 30, 2017 11:29

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「動物園のケージに入れられていたライオンが自由を取り戻したかのように喜んでいたのがつい昨日のことのようだが…」

イ・チュンガウァン氏(74)の顔に笑みが浮かんだ。野球選手になりたいと言い張っていた末息子の李承燁(イ・スンヨプ=41、三星)に野球を認めたときのことを振り返った。「国民打者」李承燁は来月3日、長年着込んだユニホームを脱ぐ。最近大邱(テグ)の自宅でインタビューに応じたイ氏は、「こんなに多くのファンから尊敬され愛されると分かっていたら、早くから野球を認めてあげれば良かったなと思う」と言って笑った。その上で「いざ引退すると言われたときは、私も寂しかった。それでも一度口から出た言葉には責任を負うべきだ。多くの人から祝福され、寂しく思ってくれるなかで退場するのも大きな意味があると思う」と語った。

●左利きグローブが変えた運命

李承燁は7歳の誕生日に野球用品がほしいとおねだりした。李承燁は左利きだったため、左利きグローブを買わなければならなかった。イ氏が大邱市内のスポーツ用品店を洗い出して買ってきた左利きグローブを李承燁は、その日から手につけて過ごした。イ氏は、「承燁がおない年の友達とは遊ばないで、3歳上の子供たちと一緒に野球をして遊んだ」と言った。

李承燁は小学校4年生のときに野球選手になりたいと宣言した。イ氏は反対した。李承燁は数日間食事を拒んだ。時間が経ってから、イ氏が聞いた。「本当に、そんなにしたいのか」。李承燁は、「野球さえやらせてもらえれば、母さんと父さんを心配させることは絶対にしない」と約束した。イ氏は、「承燁が、そのことを言ってから30年が過ぎた。引退する日まで約束を守ってくれたことに本当に感謝する」と話した。

●「ボランティア活動をしている姿が一番素敵だった」

李承燁は韓国と日本のプロ野球で計624本の本塁打(韓国465本、日本159本)を放った。2008年の北京五輪準決勝での決勝本塁打など国際大会で放った本塁打も少なくない。しかし、イ氏の記憶の中の最高の本塁打は李承燁が小学校6年生のときに放った初本塁打だ。

イ氏は、「東大門野球場の子供休場で本塁打を放ったときのことが、一番記憶に残る。息子の才能を始めて確かめたときだからだと思う」と話した。また「振り返ると、小学校時代が一番良かった。小学生は未完成だ。だからより大きな希望を持てましたね」と話した。

息子が最も素敵に見えたときは、ボランティア活動をしているときだったという。イ氏は、「野球で活躍しているときは『偉い』と思うくらいだった。だが、一番素敵だと思ったときは三星ソウル病院の小児がん病棟などでボランティア活動をしている姿を見るときだった。『本物のスターになったんだな』と感じましたね」と言う。

●明日の虹はどこへ

親孝行の息子だが、李承燁は決定的な瞬間には何度も父の意向を逆らった。大学進学を勧める父の意向に反して三星入団を選択したし、韓国残留を薦める父の言うことを聞かず、日本に渡った。イ氏は、「結局は承燁の判断が全部正解だった。引退後の第二の人生もうまくやっていけると信じている。30年間ユニホームを着て素晴らしい選手生活をした。今日の承燁を作ってくれたユニホームが恥ずかしくないようにうまくやってもらいたい」と話した。

以前、イ氏は記者に、こんなことを言ったことがある。「承燁は夢を食べて生きる子なんです。山の向こうに虹があるじゃないですか。それをつかもうと山を越えると、虹はもう一つの山の向こうにあるのです。承燁はそう生きてきたんです。絶えず挑戦を続ける苦難の道を選んだのです」。

引退後の李承燁が追い求める虹が気になる。



李憲宰 uni@donga.com