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辛格浩氏の退場

Posted June. 26, 2017 08:54,   

Updated June. 26, 2017 08:55

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「ガムの値打ち」と勝手に言わないで。ロッテグループの創業者「辛格浩(シン・ギョクホ)」名誉会長(95)は日本で1948年、運命のガム事業を開始した。当時、風船ガムはマージンが50%に達するほどの成長産業だった。ガムを売ってホテルも建て、デパートも建てたことになる。おそらくこの記事を読むあなたも、「ガムならやっぱり」という言葉が聞こえたら、自然に「ロッテのガム」という言葉が飛び出し、その広告のコピーを歌詞にした中毒性のあるメロディーが口の中でぐるぐる回るだろう。

◆辛会長は、日本植民地時代末期だった1941年、20歳の時に勉強もしながら金も稼ぐ目的で、単身で日本に渡った。文学を専攻したかったが、徴兵を避けるためには工学をしなければならないと言われて、早稲田大学で化学工学を専攻した。ロッテという名称は、彼が好きだったゲーテの作品「若きウェルテルの悩み」の女主人公「シャルロッテ」から来たものである。しかし、当時、敗戦で感情過剰だった日本の若い女性の間で、この作品が人気を集め、ガムの主な消費層である若い女性を狙ってその名を選んだという話もある。

◆辛会長は、1965年の韓日国交正常化後にようやく故国である韓国に進出できた。彼は日本に常駐しながら、2ヶ月に一度の割合で帰国し、奇数の月は韓国で、偶数の月は日本で過ごしたという。日本人妻との間で、日本語しかできない長男「辛東主(シン・ドンジュ)」と外国語のような韓国語を話す次男辛東彬(シン・ドンビン)を置いている。彼は自発的にはマスコミにほとんど顔を出さないことで有名である。ロッテグループも閉鎖的で、社会貢献も少ない。彼にとって、韓国はどんな意味だろうか。

◆彼が一昨日、韓日ロッテグループの持株会社ともいえる日本ロッテホールディングスの取締役を辞任した。グループの前面から正式に退いたことになる。経営学の創始者と呼ばれるピーター・ドラッカーは、「偉大な英雄である最高経営責任者が受けなければならない最後の試験は、どれだけ後継者をうまく選ぶかと、彼の後継者が会社をうまく経営できるように譲歩するかである」と語ったことがある。他のことはさしおいても、精神が混迷した状態で王子の乱を招いた辛会長の最後のテストは失敗だった。