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Posted June. 03, 2017 08:45,   

Updated June. 03, 2017 08:45

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「文在寅(ムン・ジェイン)大統領は『非常に衝撃的』と言いました」(尹永燦・国民疎通(旧広報)首席秘書官)。文氏の感情を読むことができる直接的な反応まで紹介した大統領府の会見は、恐らく就任以来初めてではないだろうか。大統領府では、文氏の「激怒」を節制された表現だと発表したのだろう。その後、波紋は広がる。民情首席秘書官室が直ちに真相調査に乗り出し、下剋上だとか綱紀紊乱だとか反応も激しい。政権与党も国会公聴会を推進すると言い出した。

衝撃は、国防部と軍をより大きなショックで強打した。軍人たちはメンタル崩壊状態だ。影響はこれだけに止まらず、外交安保省庁はもとより官僚社会全体に広がっている。鈍感な人々ですら「政権が代わったことを実感する」と吐露する。大統領府が狙ったのはこのような連鎖効果かも知れない。官僚らは、徐々に過去の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府スタイルの復活を予感するムードだ。

盧武鉉元大統領は、外交安保政策でも透明性を非常に強調した。政策決定が過去の帝王的権力時代のように密室で密かに行われてはならないとし、敏感な事案も国民的公論化を経るようにした。そして、国民世論と省庁政策を調整する機能を国家安全保障会議(NSC)事務局に担わせた。当然大統領府に力が集中するほかなかった。

文氏の認識の根底にもその時期のことが敷かれている。大統領選の公約集は、「国民外交」を標榜した。先月、主要国家に特使を送りながらも、政治的正当性と透明性を力説した。特に「新政権はピープルパワーを通じて発足した政権ということを強調してほしい」と注文した。ろうそく革命で誕生した新政権は、過去の密室合意を見直すほかないということを理解させてほしいということだ。

しかし、透明な政策決定には見返りが伴うものだ。盧武鉉政府時代、秘密主義に慣れた省庁の自律性は大いに制限され、キャリア外交官と制服軍人に対する不信は大きくなった。そのため、担当省庁が政策決定過程で「のけ者」にされることがよく起こった。そのうえ自主派と同盟派の対立が重なり、大統領府まで理念の戦場と化した。

文氏は、民情首席と秘書室長としてこの過程を見てきた。特に、民情首席秘書官時代、龍山(ヨンサン)米軍基地の移転交渉をめぐって対立が激しくなった時、NSCと国防部、外交部に対する調査の責任を負った。当時、戦場のような状況でも文氏はバランス感を失わなかったというのが、大統領府で勤めた軍事専門家、金鍾大(キム・ジョンデ)氏(現・正義党議員)の「取材結果」だ。

 

文氏は、公職規律秘書官の調査報告を受けた後、それに反する立場にも傾聴し、当初一方の見解に偏っていた17ページの報告書をバランスを取って6ページに要約して報告した。文氏の報告書に対する盧大統領の反応はどうだったか。「いくら考えても、どちらの主張が正しいのか分からない」(『盧武鉉、時代の敷居を越える』2010年)。

 

興奮せず、一方に偏らず、それゆえ大統領まで分からない報告書を作成するのが「文在寅の性情」だった。その文氏が怒りを露わにした。民情首席室の調査で、どちらが嘘なのか、さもなければ意思疎通の行き違いなのかは明らかになるだろう。ところで気になることがある。果たして何が、誰が文氏の平常心を失わさせたのか・・・。 参謀と大統領は違うということだけだろうか。