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中国人と吾不關焉

Posted May. 11, 2017 08:35,   

Updated May. 11, 2017 09:48

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昔中国では、農民が犬と猫を一匹ずつ飼った。ネズミたちが家の中の穀物を食い荒らしたが、怠惰な猫は遊んでばかりいた。ある日、耐えかねた犬がネズミを全部取った。猫が、死んだネズミを積み上げて歓声を上げた時、農夫が戻ってきた。農夫は猫にご褒美として魚を与えた後、疲れてしばらく眠っていた犬を足で蹴った。「拘拿耗子多管閑事(犬がネズミを捕るなんて…。余計なことをしたな!)」という故事だ。よいことをしても、被害を受けかねないという中国人の考え方がそのまま投影されている。

◆1999年、中国に初めて取材に行った時、交通事故でバイクの運転手が頭から血を流したまま、道路に倒れているのに、通行人が皆見物ばかりしているのを見てびっくりしたことがある。交通整理をしていた警察官も、同様に救いの手を差し伸べなかった。救急車が来るまで、彼はそのまま放置されていた。中国ではこのような出来事は日常茶飯事だ。6年前、杭州では西湖に落ちた女の子を見ても、人が皆見物ばかりしていると、ウルグアイの女性観光客が飛び込んで助けて、中国メディアの賛辞を受けた。

◆このような吾不關焉の現象は、中国メディアもよく批判している。しかし、改革開放以来、個人主義が広がり、改善どころか、かえって深刻化している。林語堂(1895〜1976)は、歴史的に中国人たちは法の保護を適切に受けられなかったことによる副作用だと説明した。文化と習俗の異なる異民族の支配が多かった中国で、口出ししたために被害を受けることが多かったからだという。子が親を、教え子が師匠を告発した文化大革命の反作用という解釈もある。

◆中国山東省の威海国道トンネルで起きたスクールバスの火災惨事で、韓国人の幼稚園児11人が死亡した。インターネットに掲載された事故場面を見たネットユーザーたちは、「通りかかりのドライバーがしばらく立ち止まって、外から窓だけを壊してあげても皆助けることができたはずなのに」と、中国人の市民意識の不在を残念がった。そのためだろうか。習近平国家主席と李克強首相は異例に、遺族を直接慰め、徹底的な調査を指示した。中国は今回の事故を機に、「他人の余計なことに割り込むな」という「別管閑事」の追放運動を繰り広げてみるのはどうだろう。