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老戦士の大統領選挙への出馬

Posted March. 20, 2017 08:28,   

Updated March. 20, 2017 08:29

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1170年、高麗王毅宗(ウィジョン)が、普賢院(ボヒョンウォン)というお寺に向かう途中、武臣らに対し、「手搏戱」をするように命じた。手で相手を殴る手搏戱は、後でテッキョンに発展した軍事武芸だった。大将軍の「李紹膺(イ・ソウン)」が敗れると、文臣である韓賴(ハン・レ)が頬を殴りつけ、李紹膺は踏み石の下に落ちる侮辱を受けた。ただでさえ、門閥貴族たちが最高の軍事指揮権までを手にし、武班が軽視された時代だった。鄭仲夫(チョン・ジュンブ)などの武臣たちはすぐにクーデターを起こした。100年間続いた武臣政権の始まりだった。

◆「何も知らない文臣たちが(武臣たちを)無視し、冷遇したので、鄭仲夫の乱が起きた」。2004年8月、陸軍のとある人物がこの言葉を口にしたという噂が広がった。当時、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府は、「国防部本部の文民化」と陸海空軍の均衡発展を推進して、陸軍将軍たちの間では危機感が漂っていた。この発言をしたと指摘された人は、ほかならぬ南在俊(ナム・ジェジュン)陸軍参謀総長だった。機務司令部などの調査結果、事実無根だと明らかになったが、反改革的というレッテルがついて回った。

◆南総長には、安全保障と反共、愛国が「宗教」だった。清廉と剛直、忠誠は行動規範だった。将軍になった後も、「生徒3年生」の姿勢を維持したという彼だ。盧武鉉政府との衝突は、予定されていたことだった。彼は、陸軍准将進級審査に介入したという疑惑で捜査を受けると、辞表同然の転役願書を出して立ち向かった。辛うじて任期を終えて除隊した後は、戦時作戦統制権の取り戻しと軍兵力削減、服務期間の短縮などに、先頭に立って反対した。

◆2013年、南在俊の国家情報院長就任の第一声は、「戦士になる覚悟ができている」だった。南北首脳会談議事録の予期せぬ公開と李石基(イ・ソッキ)統合進歩党議員の捜査などが「従北清算」の実績だ。今年73歳である氏は17日、「今、北東アジアの情勢は旧韓末と同様であり、国内状況は、ベトナム敗戦直前よりもひどい」と主張しながら、大統領選挙への出馬を宣言した。これに先立った行ったとあるインタビューでは、「崔順実(チェ・スンシル)を知っていたなら、拳銃でも持って大統領府に向かっただろう」と決起を見せた。彼が別の戦争に出たのは、「盧武鉉シーズン2」を食い止めるという老兵の最後の必死の努力のような気がする。