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韓米国交樹立を勧めた李鴻章

Posted March. 13, 2017 08:40,   

Updated March. 14, 2017 07:43

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韓国に米国と国交樹立を初めて勧めた国は?中国だ。1879年に北洋大臣の李鴻章が朝鮮領議政の李裕元(イ・ユウォン)に送った手紙で、ロシアの脅威を取り上げ、米国、英国、ドイツなどとの条約締結を勧めた。国力が衰えた中国が西欧列強を引き込む「以夷制夷」構想だ。さらに1880年、日本に修信使として向かった金弘集(キム・ホンジプ)に中国の参賛(書記官にあたる)黄遵憲が、「親中国、結日本、連米国」の方策を盛り込んだ「朝鮮策略」を伝え、朝鮮朝廷は「オランケ」と考えていた米国との修好通商条約締結を前向きに検討することになる。

◆中国は1882年、朝米修交条約の締結過程では妨害した。李鴻章が「朝鮮は清の属邦だ」という内容を第1条に明文化しようとした。しかし、米国の全権特使ロバート・シューフェルト提督が朝鮮は独立国だと強く反発し、結局削除された。シューフェルト提督は、同年5月の調印式で、朝鮮が清の龍旗やこれを一部変えた旗を持てば属国であることを認めることになるとし、国旗の制定も促した。太極旗が正式に制定される前だったので、朝鮮は「太極図形旗」を臨時に作った。

◆中国の近代啓蒙思想家である梁啓超は、日清戦争の敗北と関連して李鴻章の12の責任を問い詰めた。その第一は、「朝鮮が様々な国と条約を締結するよう誤って勧めた」ということだ。当代の先覚者だった梁啓超は西欧文明の受け入れを主張し、朝鮮の開化派知識人にも多くの影響を与えたが、中国の属国だった朝鮮が外交権を行使することには不満だった。梁啓超は朝鮮の亡国に「むせび泣き、涙を流さざるを得ない」と悲しんだが、朝鮮の無能を嘲る文も残した。

◆米国は1905年の桂・タフト協定後、韓米関係を断絶し、韓国戦争後、韓米同盟を構築した。一世紀前から韓国を自主独立国と認め、「大国」だからと脅迫したこともない。中国が高高度防衛ミサイル(THAAD)問題に高圧的に出てくるのは歴史的に見慣れた中国の素顔だ。下心はほかにあったが李鴻章の勧めが結果的には正しかった。