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浅川巧と小盤の再発見

Posted March. 09, 2017 08:34,   

Updated March. 09, 2017 08:35

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2012年に上映された韓日合作映画『道~白磁の人(白磁の人:朝鮮の土になる)』。日本の植民地支配期、韓国で暮らした日本人の浅川巧(1891~1931)の人生を扱った映画だ。彼は兄の浅川典孝について1914に年韓国に渡った。韓服を着て、韓国語を話した。韓国の山を緑にするうえで貢献し、韓国の白磁と工芸品を愛して熱心に収集した。

有名な民芸研究者の柳宗悦が韓国の工芸に目を開いたのも、浅川兄弟のお陰だった。1916年、兄の浅川典孝が柳に朝鮮の青華白磁を贈り、これがきっかけとなって柳は韓国工芸にはまった。浅川兄弟と柳は朝鮮の陶磁器や木工芸品、金属工芸品などを集めて1924年に朝鮮民族美術館を建てた。

映画で浅川巧は「白磁のような人」と呼ばれた。白磁を収集・研究したためだ。しかし白磁に劣らず重要なものがある。小盤だ。浅川巧は、小盤を収集・調査・研究し、その結果を1929年に『朝鮮の膳』という本で発表した。国内初の小盤研究書だ。本にはこのような内容がある。「今やらなければ多くの小盤が消えることを心配し、ひとまず記録することにした。」韓国の小盤を韓国人より愛した人だった。さらにこう続く。「朝鮮の小盤は、素朴な美しさのうえ端正な姿で、私たちの日常生活に馴染んで役立ち、歳月が経つほど味わいを増す・・・」

これまで小盤は、ただの平凡な日常用品だった。しかし浅川巧はそこから美しさを発見した。人々は博物館で小盤を鑑賞し、美的に感動し始めた。日常用品が美術品に変わったのだ。最近、韓国人が小盤を好み、美しさを感じるのも、浅川巧のお陰だ。

1931年、浅川巧はソウルで植樹行事を準備していた途中、急性肺炎で亡くなった。韓国式で葬儀を行い、韓国の人々が先を争って棺を担いだ。ソウル忘憂歴史文化公園(旧忘憂墓地公園)に行けば、漢江(ハンガン)が見下ろせる日当りのいい所に墓がある。墓の前には壷の形の石の彫刻が一つある。浅川巧が亡くなって1年後に、彼の兄が朝鮮白磁をモチーフにして彫刻したものだ。墓碑にはこのように書かれてある。「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の胸の中に生き、そして去った日本人がここ韓国の土になる」。4月2日は浅川巧の命日だ。