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引退の辞

Posted March. 07, 2017 08:32,   

Updated March. 07, 2017 08:34

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「行かなければならない時がいつなのかを/はっきり知っている人の/後ろ姿はどれほど美しいのだろうか」。2005年に亡くなった詩人、李炯基(イ・ヒョンギ)氏の代表作の一つである「落花」の冒頭部分だ。青年時代、詩の全文を知らないまま、この一節だけを小耳にはさみ、たびたび口ずさんだ記憶がある。「離れる時が来れば、ためらうことなく背を向ける」という誓いは、血気旺盛な時分には誰もが口にしただろう。年を取って、こだわりと後悔が増えると、適時に格好よく去ることほど難しいことはないことに気づかされる。

◆康錦實(カン・グムシル)元法務部長官は離任式で、「本当に言いたいことは言えずに去るのが離別」と述べて余韻を残した。長官や次官などの高官は、最初に心に決めたとおりに仕事を終えて去るのは容易でない。未練がないはずがない。辞任の挨拶で、その一端が明るみになって当然だ。「ただ、誠実でなかなかいい人だったと覚えていてくれればありがたい」。金滉植(キム・ファンシク)元首相が残した辞任の挨拶の一節だ。金元首相の淡白な挨拶は、恨みも、要求もなかったので、逆説的に注目を集めた。

◆新体操の「妖精」孫延在(ソン・ヨンジェ)が、4日の引退記者会見で、「奥ゆかしくもしっかりとした、派手でなくても中身の充実した人間になりたい」と語った。20代前半なのに、こんなに素敵な引退の辞をしたことに驚かされる。幼い時から食べたいものにも、遊びたくても歯を食いしばって我慢しながら、自分自身を極限まで追い詰めてきた人だからこそ到達できる境地だという気がする。成熟さは、単に年齢の問題ではない。

◆高位公職者であれ運動選手であれ、これからも数々の辞任の挨拶や引退の辞を出すことになるだろう。従業員やファン、家族に感謝し、後輩らのために微力ではあるが、自分のできることを探すという温かい内容だけで構成されないことは明らかである。論語に「後生畏るべし。いずくんぞ来者の今に如かざるを知らん(後生可畏焉知來者之不如今也)」という一節がある。「若者(後輩)達は恐るべき存在である。これから出てくる人材がどうして自分たちに及ばないと言えるだろうか」という意味だ。孔子が30歳も年下の顔淵について口にした言葉だという。時間が経つほど、より響きと品格のある引退の辞が出てくるだろうという期待を捨てる理由などない。