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全羅道の戦略的選択と安風

Posted February. 14, 2017 08:26,   

Updated February. 14, 2017 08:28

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2002年の民主党大統領候補予備選挙の時、盧武鉉(ノ・ムヒョン)予備候補が「大勢論」だった李仁濟(イ・インジェ)予備候補を決定的に破ったのは、3月、光州(クァンジュ)でのことであった。盧武鉉氏は、まず最初に行われた済州(チェジュ)の予備選挙では3位にとどまったが、蔚山(ウルサン)でトップについたのに続き、光州でも李仁濟氏を抜いて波乱を起こした。「盧風(盧武鉉風)」に本格的に火をつけたのだ。李仁濟はその後、票田だった大田(テジョン)で圧勝したが、「見えない手」が民主党の予備選挙を牛耳っていると主張し、選挙戦を放棄した。

◆李氏が背後だと指摘した人は朴智元(パク・ジウォン)大統領政策特補だった。蔚山の予備選挙から異常な兆候を感じた李氏は、光州で盧氏がトップにつくと、大統領府がその背後だと確信した。東橋洞(トンギョドン)系組織と民主党外郭青年組織などを通した介入なしには起こり得ないことだと疑ったのだ。当時、陰謀論は飛び交ったが、確認されたことはなかった。

◆15年前の出来事の顛末は、結局、朴智元氏の口から明らかになった。朴智元は2013年4月、チャンネルAの番組「快刀乱麻」に出演し、「金大中(キム・デジュン)大統領に、盧武鉉を大統領候補にするべきだと何十回も進言し、熱心に説得して、大統領から『盧武鉉が大統領なってほしい』という言葉を取り付けた」と打ち明けた。だから朴光泰(パク・グァンテ)光州市長に対し、組織を総動員して盧氏を支持するよう指示したという証言だ。太陽政策のような金大中精神を履行する人物として盧氏が適任だと判断したという理由からだ。

◆大統領府からの支援に加え、光州での盧風は、全羅道(チョルラド)有権者たちの戦略的選択と一致したために可能だった。死票を作らないという心理があまりにも強く、政権交代を実現できる候補に票を集めたのだ。民主党の予備選挙では、金大中氏以降、4回すべてが湖南でトップをとってこそ大統領選候補になれた。湖南の民心は、昨年の4・13総選挙で釜山(プサン)出身の野党「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)の肩を持った。「大勢論」の文在寅(ムン・ジェイン)に注がれていた民心が、安熙正(アン・ヒジョン)に分散され、全羅道の苦悩もその分だけ深まっている。最大野党「共に民主党」の最初の予備選挙地・光州で、安風が台風へと成長するか、そよ風に止まるかに、その後の安熙正の運命がかかっている。