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故朴世逸氏の「輝く」挫折

Posted January. 16, 2017 08:33,   

Updated January. 16, 2017 08:41

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韓国で法案処理問題で議員職を投げ出した唯一な人が13日に他界した朴世逸(パク・セイル)ソウル大学名誉教授だ。2005年3月の李明博(イ・ミョンバク、MB)大統領時代だった。忠清道(チュンチョンド)の票を狙って世宗市(セジョンシ)移転を推進した「行政複合都市建設特別法」(行政都市特別法)が国会で可決されたことに対して、離党をもって抗議したのだ。国会法は、比例代表の場合、離党すれば議員職を失うことになっている。朴世逸は、当時のハンナラ党代表だった朴槿恵(パク・グンヘ)氏について、「良質であることは確かだが、乱世に適したリーダーシップを持っているかどうかはよく分からない」と鋭く批判した。

◆氏は、朴大統領が党権を握っていた2004年、政治入門した。ちょうど10年前、金泳三(キム・ヨンサム)大統領府の政策ブレーンで、「グローバル化」を国家アジェンダに作り、MBが大統領選挙公約で借用した「先進化」の話題まで創案した。比例初当選議員である彼を、党内要職と言われている政策委議長に抜擢するほど、朴代表は厚い信頼を送った。しかし二人は、世宗市移転問題で決別した。

◆朴世逸は再び、大学で学生たちを教えながら、2005年、韓半島先進化財団を設立した。大韓民国の先進化と南北統一は、氏が情熱を注ぎ込んだ生涯課題だ。14日、遺体安置所を訪れたMBは、「今この時代には欠かせない惜しい人がこの世を去った」と遺族を慰めた。金泳三政府で教育長官を務めた李明賢(イ・ミョンヒョン)ソウル大学名誉教授や鄭正佶(チョン・ジョンギル)蔚山(ウルサン)大学理事長も遺体安置所で、「左右に分かれた混乱期には欠かせない人物なのに...」と悲しんだ。

◆氏の座右の銘は、「以天下觀天下」だ。老子の道徳経に出ている言葉であり、「民の心で世界を見ろ」いう意味だ。その言葉の通り、知行合一の姿勢で先進化と統一に身命を捧げた。書生・朴世逸、2012年に政党「国民を思う」を作って、政治改革に乗り出したが、時代は彼に背を向けた。問題意識は雄渾だったが、商人の現実感覚が不足していたのだろうか。保守陣営の巨大談論の生産者である彼は、時代を先行した経世家だった。彼は「統一の瞬間は迫っているのに、統一の大業を果たす主体が見えない」と嘆いたりした。どうぞ、やすらかに眠ってください。

崔英勳(チェ・ヨンフン)論説委員 tao4@donga.com